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2024年10月31日 07:26 更新

3年間の不登校を経て娘が選んだ道と、寄り添いながら変わってきた両親のいま――ある不登校家族の物語<後編>

私立の中学校に通いだした娘が、秋になると玄関で「おなかが痛い」と泣き出し、やがて不登校に。「どうして学校に行けないんだろう」と親として憤りを感じていたけれど、娘はやがて自らの髪を抜いてしまうように……。ママとパパが率直な想いを語るインタビュー。長女の不登校に向き合い、変わっていった家族の物語<後編>です。

東京都に住む飯田博司さん、美紀さん夫婦(ともに仮名)には、高校3年生の長女、中学3年生の長男、小学3年生の次男、と3人の子どもがいます。

<前編>では、長女が中1の秋から学校を休みがちになったこと、当時の美紀さんと博司さんの率直な受け止め方について聞きました。<後編>では、家族のその後をお届けします。

●取材に答えてくれたパパとママ
飯田博司さん(仮名/48歳/会社員)、美紀さん(仮名/47歳/パート)

●家族
高校3年生の長女、中学3年生の長男、小学3年生の次男

登校したいのにできない。高1の冬、娘の決意

学校で具合が悪くなる女子生徒のイメージ画像
※画像はイメージです

――中1の秋ごろから不登校がはじまった長女さんは、コロナ禍を経て、中2のときに再び登校できるようになり、お休みや保健室も利用しつつ、通学していたというお話でした。その後、どんなふうに登校していたのでしょうか。

美紀さん 中3になってからも休んだり遅刻したりしながら登校していましたが、クラスでお弁当を食べられなくなり、保健室でおにぎりを食べるような状況が続きました。中3の冬は娘の体調がとても悪化してしまって不眠症状もあったので、心療内科を受診して薬を処方してもらったこともありました。そのころから、学校のスクールカウンセラーの先生と月に1回ほど面談をするようになりました。保健室の先生にもとてもよくしてもらって、たくさん話を聞いてもらっていたようです。

娘は休んだり遅刻したりしながらもできるだけ登校するように頑張っていました。ずっと休み続けて勉強が遅れると、もっとストレスになってしまうと思っていたようで、授業に遅れないよう、家でも勉強していました。ですが、高1の冬ごろから体調が悪化し、通信制の高校への転校を考え始めました。

――転校を考えたきっかけは?

美紀さん その学校はほとんどの生徒が大学進学するところだったので、高校2年生になれば受験勉強が始まります。娘は学校に行くことも大変だったし、そのころから過敏性腸症候群の症状が頻繁に出るようになっていました。

そんなとき、たまたま幼稚園のころからのママ友のお子さんが通信制高校に転校したという話を聞きました。娘に伝えたら「このままこの学校で勉強できる気がしないから、私も通信を考えてみようかな」と。

それで、いくつかの学校の資料を取り寄せて3〜4校の見学に行き、娘が興味のある学校があったので転校することに決めました。今思うと、不登校中でも家での学習を止めなかったことが、通信制への転入、そして大学進学を目指すという前向きな行動につながったのかもしれません

通信制高校へ転校し、大学進学を目指す

子供部屋の勉強机
現在の長女さんの部屋の様子。好きだった推し活はいったん封印し、大学進学を目指して勉強中(提供写真)

――転校した高校での状況はいかがですか?

美紀さん 今の通信制の高校は、自宅で課題やレポートに取り組んで、月に1回通学する形です。娘は大学進学を希望しているので、オンライン学習ができる塾にも通っています。

通信制高校に入ってすぐのころは友だちがいなかったんですが、秋の文化祭に参加してみたら気の合う友だちができたようです。その子たちと一緒に学校主催のイベントに参加したらさらに絆が深まったようです。毎月1回の登校日は友だちと約束をして、楽しく過ごしているようです。明日(取材日翌日)も学校があるんですが、友だちとランチしてから行く、と楽しみにしています。

前の学校にいたときは、毎年秋から冬になると体調が悪化して、髪を抜くことも続いていたんですが、転校してからは髪を抜くことはすっかりなくなりました。

できないことよりも、できることのほうが見えるように

――長女の不登校の経験を通して、美紀さんと博司さん自身の考えが変わったことはありますか?

博司さん 長女は、当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではなかったことに気づかせてくれました。僕も妻も中高一貫校から大学進学して会社に勤める人生を歩んできたので、なんとなく自分たちの子どももそうなるんだろうと思っていたんですよね。だけど、自分で決めたことでも「やっぱり違ったな〜」ということはだれにでもあります。一度選択したことを突き通さなきゃいけないわけでもありません。

子どもが自分で選んだのなら大学に行かなくてもいいし、行ってもいいし、いろんな生き方があるという考え方ができるようになりました。

美紀さん 私は、価値観も子どもたちへの接し方もかなり変わったと思います。こういうふうに生きるべき、こういうことが正しい、という考え方の幅が広がりました。子どもたちが楽しく生活できているだけで本当にすばらしいんだと考えられるようになって、怒ることがかなり少なくなりました。下の子たちのことも、できないことを見るよりは、できることのほうに注目できるようになりました。

――以前はどんなことで厳しくしていたんですか?

美紀さん 娘は小さいころからピアノを習っていたので、無理にでも練習させたり、できないところを指摘したりしていました。私はそのことを反省していたんですが、娘は「ピアノを弾けるようにさせてくれたことに感謝してる」と言ってくれました。不登校になり心が不安定なときにピアノを弾くと落ち着いたんだそうです。娘は高校2年生で最後の発表会に出ました。ピアノを弾けることが彼女の自信になっているようです。

博司さん 娘の体調が悪化した時期、僕は一緒にいられなくて、妻がほんとうにがんばってくれたので、すごく感謝しています。娘や妻の様子を見つめながら、私にはどんなことができるだろう、と考えるようになりました。不登校児童が増えている今、この社会課題を解決する方法として、新規ビジネスの立ち上げをめざしています。私なりの解決方法を娘に見せたいと思うようになったのは、自分の中で非常に価値観が変わった部分だと思います。

――どんなビジネスを企画しているのでしょうか?

博司さん 学校に行っていない子どもを対象にした、オンライン家庭教師のスキルシェアサービスです。今、当事者の方たちにヒアリングをして検証している段階です。娘の不登校を経験して、いろいろと調べる中で、当事者の保護者や子どもの多くが、勉強についての不安を抱えているとわかりました。学習の遅れがあったり、将来どうしたらいいかわからない不安を抱えていたり。そういった学習に対しての不安を解消できるサービスを考えています。

新型コロナの時代を経て、大人の働き方は多様化しました。子どもにとっても、学校に行く以外の学びの選択肢があってもいいはずです。これからの日本を担う子どもたちに、いろんな学びの選択肢を提供することが命題だと思っています。

▶不登校が始まった経緯は? <前編>を読む
「おなか痛い」玄関で泣きだした娘。不登校のつらさを「わかってあげられなかった」と両親――ある不登校家族の物語<前編>

取材に答えてくれた飯田博司さん(仮名)こと、いいちゃんは、「不登校中の学習支援 新サービス」の検証協力者を募集しています。
詳しくはこちら

(取材・文:早川奈緒子)

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