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2024年10月31日 07:25 更新

「おなか痛い」玄関で泣きだした娘。不登校のつらさを「わかってあげられなかった」と両親――ある不登校家族の物語<前編>

私立の中学校に通いだした娘が、秋になると玄関で「おなかが痛い」と泣き出すようになり、やがて不登校に。「どうして学校に行けないんだろう」と親として憤りを感じていたけれど、娘はやがて自らの髪を抜いてしまうように……。娘の不登校に向き合ったママとパパへのインタビュー。

東京都に住む飯田博司さん、美紀さん夫婦(ともに仮名)には、高校3年生の長女、中学3年生の長男、小学3年生の次男、と3人の子どもがいます。

長女が中1の秋から学校を休みがちになり、3年ほど不登校の状態だったそうです。当時のことや、長女の現在の過ごし方について博司さんと美紀さんに話を聞きました。

●取材に答えてくれたパパとママ
飯田博司さん(仮名/48歳/会社員)、美紀さん(仮名/47歳/パート)

●家族
高校3年生の長女、中学3年生の長男、小学3年生の次男

ある朝、靴を履きながら「おなかが痛い」と泣き始めた娘

玄関に座る女子中学生のイメージ写真
※画像はイメージです

――長女さんは中1の秋ごろから学校を休み始めたそうです。当時はどんな状況でしたか?

美紀さん 長女は中学受験をして都内の私立女子中高一貫校に入学しました。様子が変わりはじめたのは秋ぐらいからです。学校から帰宅すると部屋に閉じこもることが多くなりました。何かあったのか気になりつつも様子を見ていたんです。

するとある朝、長女が玄関で靴を履きながら泣きだして「今日はおなかが痛くて学校に行けない」と言うのです。その日は学校に体調不良と連絡をして休みました。そして翌日も、支度をして家を出たもののすぐに戻ってきて「やっぱり行かれない」と。3日目は朝起きてすぐに「今日は行かれない」と言いました。

――3日間休んだ理由は腹痛だけだったのでしょうか。

美紀さん ほかにきっと理由があるんだろうと聞いてみても、「おなかが痛い」と部屋に閉じこもってしまい、何も言ってくれませんでした。でも3日続けて休むことになり、担任の先生から電話が来て「直接お話を聞かせてください」と私が学校に呼ばれました。欠席の理由を先生に伝えるため、私は娘に「何があったの! きちんと言いなさい」と強く問い詰めてしまいました。すると娘は「友だちにLINEであることを言われた」と言うのです。「証拠を見せて」と言うと、「全部消しちゃった」と。娘は、友だちとの嫌なやりとりの履歴をすべて消してしまっていたので、実際にどんなトラブルが起こったのかわかりませんでした。

娘は「自分でなんとかするから、大丈夫だから。明日は行くから、先生には絶対に友だちのことは言わないで」というばかりでした。仕方ないので、学校の先生には「友達関係で何かあったようですが本人は大丈夫だと言っています」と伝えました。

――学校側はどう言っていましたか?

美紀さん 担任の先生は「もし友だちとのトラブルがあったなら、生徒を集めて話し合うからできれば名前を教えてほしい」と言ってくれたんですけど、娘から口止めされていたこともあり、ひとまず様子を見ようということになりました。先生方は、教室に入れないなら保健室でも大丈夫だよ、とか、なにかできることがあれば言ってくださいと、とても親身になってくれました。

娘は翌日からまた学校に行き始めましたが、やがて冬になると腹痛が頻繁になり、週1回は欠席、週1回は遅刻、という状況になりました。

娘の体に現れた異変

電車を見送る女子中学生のイメージ写真
※写真はイメージです

――長女さんは、遅刻したり休んだりしながらも通学しようと頑張っていたんですね。

美紀さん 朝起きて、学校に行こうとして支度をするんですけど、靴を履くとおなかが痛くなって座り込んでしまうことがよくありました。学校へは電車通学で家から1時間と少しの距離です。なんとか玄関を出て、最寄りから数駅先の乗り換え駅までは行くんですけど、どうしても次の電車に乗れなくて、乗り換え駅のトイレで休憩することもよくありました。娘から「少し休んでから行くから学校に遅刻の連絡をして」と連絡が来ることが何度もありました。

私は週に3~4日パートで働いていたので、娘から連絡がきたとしても「15分休んだら行きなさいよ」と言ったり、「やっぱり休む」と連絡が来ると「また戻ってくるの?」と言ってしまいました。「また今日も職場から学校に電話をしないといけないの」とか「せっかくお弁当を作ったのにまた食べないの」とか……。娘を責めるような言葉をかけてしまっていました。今思えば、娘はなんとか学校に行こうととっても頑張っていたのに、わかってあげられなかったんです。

そうこうするうちに、2021年の2月ごろから娘の体に異変が出るように。おなかが痛いだけではなくて、自分で髪をむしって抜くようになってしまいました。

――長女さん、とてもつらかったんですね。

美紀さん 娘自身も髪を抜くのをやめたいけれど、やめられないんです。とてもつらそうでした。娘の部屋へ掃除に入るたびに、床に大量の髪の毛が落ちていました。抜けてしまった娘の髪を片付けながら、ここまで心を痛めていることがショックで、胸が締めつけられるようでした。こんなにつらいのなら、無理して学校に行かなくてもいい、それより娘が笑顔でいることのほうがずっと大事だ、と考えるようになりました。きっと娘は今、骨折しているような状態。骨が折れたまま無理に走っても治らないから、いったん休んで骨を治してから歩くことを始めればいいと考え、娘にも「いったんゆっくり休もう」と話しました。

そんなとき、ちょうど新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言で、学校がお休みになったんです。娘も登校のストレスから解放され、私も不登校関係の本を読んだり、YouTubeを見たりして、娘にどう対応すればいいのか、娘の心にどう寄り添えばいいのかを学び始めました。そしてコロナ期間中には娘とたくさん話をして、娘の好きなことを一緒に楽しみました。

女の子の部屋・ベッド・ピアノ
「娘自身も、髪を抜くのをやめたいのにやめられない。髪が落ちていたら、娘がすぐに自分でハッと気づけるといいのではと思って」美紀さんは長女の部屋をかわいらしく模様替えしたそう。当時の様子(提供写真)

コロナ禍に推し活をして元気が戻ったけれど……

――どんなことですか?

美紀さん 一緒に、娘が好きなアイドルグループの推し活をしたんです。「この曲がいいよね」「この振りがかっこいいよね」と一緒に盛り上がって楽しみました。学校を休み始めたころはほとんど部屋から出てこなかった娘でしたが、大きなテレビでアイドルのコンサート動画を見たい、とだんだん部屋から出てリビングで過ごすようになりました。

コロナ期間が終わり、いよいよ今日から再び登校する日の朝のことです。学校に行けるかどうか娘も緊張しながら準備をしていたら、たまたまつけていたテレビに推しグループのメンバーが出ていたんです。娘はすごく励まされたようで「頑張る気持ちになれた」と、その日学校に行くことができました。私も本当にうれしかったです。あまりにうれしくて、娘に元気をくれたアイドルの方に、初めてファンレターを書いたくらいです。まだ出していなくて手元にあるんですけど、いつか感謝の気持ちを届けたいと思っています。

――中2のコロナ期間が明けてから、長女さんの様子はどうでしたか?

美紀さん 中2に進級するクラス替えの際に、先生方は娘が少しでも学校に行きたいと思えるように配慮して対応してくださいました。娘が安心できるお友だちが多いクラスになるようにしてくれたんです。コロナ期間でお休みして元気を取り戻したこともあり、娘は中2の春からは楽しく通学しているようでした。

でもやはり秋ぐらいになると、中1のときのことを思い出してつらくなってしまったようです。週2~3程度休み、週2~3程度遅刻という通学状況になりました。私もそのころには、娘が「おなかが痛いから休む」と言っても「わかったよ、ゆっくり休みな」と言えるように。休んでも学校のことは話題に出さず、趣味の話や、日常の普通の話だけをするように心がけていました。

娘は学校に行ける日には保健室で過ごして、行けそうなら教室に行って、おなかが痛くなったらまた保健室に戻る、という感じで過ごしていたようです。

――2人の弟さんたちは、長女さんのことについてどう感じている様子でしたか?

美紀さん 下の弟は娘と8歳離れていて、当時は4歳くらいだったので娘が家にいることもなんとも思わないようでした。幼い次男と触れあうことが娘にとっては癒やしだったようです。長男も、いろいろと空気を読むタイプの子なので、お姉ちゃんに対して「なんで学校に行かないの」といったことは一切言わずにいてくれました。

娘の不登校を受け入れる覚悟が必要だった

飯田さん家族写真
「パパは家族のムードメイカー的存在。単身赴任先からパパが帰ってくるとみんな笑顔でした」と美紀さん(提供写真)

――博司さんは当時単身赴任をしていたそうです。長女さんの状況についてどう感じていましたか?

博司さん 私は2021年9月までの5年間、大阪へ単身赴任していて、長女のことは妻からLINEで随時連絡をもらっていました。もちろん心配でしたが、現場にいないので、温度感は妻と差があったと思います。おそらく、学校に行き渋り始めた時期がいちばん大変だったと思うんですが、ちょうど緊急事態宣言下で、東京に戻ってくることができなかったんです。妻はほとんど1人で対応してくれました。

赴任期間が終わり東京へ戻ってきたのは、2021年で娘が中3の秋でした。実際に娘の様子を見て、これは妻が相当大変だっただろうな、と感じました。

――実際に長女さんの様子を見て、博司さんはどう思いましたか?

博司さん はじめは、どうして学校に行けないんだろう、できれば学校に行ってほしい、どうすれば行けるようになるんだろう、と、そういうことしか考えられませんでした。娘が希望して中学受験をして入った学校ですから、あの受験勉強は何だったのか、とも思いました。学校に行けない娘を受け入れる覚悟がなかったんだと思います。

そんな私に、妻は本やYouTubeで学んだ情報を教えてくれ、妻がどうやって娘の状況を受け入れたか、どんなふうに接しているかを教えてくれました。それで私も少しずつ考えが変わり始めました。
何よりもいちばん大事なのは娘が生きていることです。そこで、まず私は娘の味方であること、大事に思っていること、愛していることを本人に伝えました。

――どんなふうに伝えたんですか?

博司さん 長文のLINEメッセージを作って、妻にも内容を見てもらってから娘に送りました。パパは娘が選んだことを尊重するし、娘が問題にぶつかったときも応援するから安心してね、という内容です。娘からは「ありがとう」のスタンプだけが返ってきました(笑)


――「わが子が学校に行かない」ということの受け止め方が少しずつ変わっていった博司さんと美紀さん。記事の<後編>では、長女さんのその後、そして家族の現在をお届けします。

取材に答えてくれた飯田博司さん(仮名)こと、いいちゃんは、「不登校中の学習支援 新サービス」の検証協力者を募集しています。
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(取材・文:早川奈緒子)

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