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2025年06月12日 10:31 更新

イギリスで出産したら翌日に退院! 涙と衝撃の第一子出産【カルチャーショック】|もういいじゃん、私が楽しめば。#1

登録者数27.5 万人超のYouTube チャンネル「LiaLico Channel」で海外での日常を配信するLialico Mama(りありこママ)ことラスコットエバンス美穂さん。

6人の子育て、そして「子育て期」後を自分らしく幸せに生きるヒントを綴った書籍『もういいじゃん、私が楽しめば。 夫は英国人、6人子持ちアラカン母のエッセイ』(KADOKAWA)をご紹介します。

「もういいじゃん、私が楽しめば。 夫は英国人、6人子持ちアラカン母のエッセイ」

美穂さんは30歳で英国人男性と結婚し、夫の転勤で6カ国を移住しながら4男2女の6人の子どもを産み育てました。55歳で空の巣症候群になり、夫婦関係や更年期にも悩んだ58歳ごろまでの3年間を中心に、新しい幸せを見つけるまでを綴った著書から一部をお届けします。

産後翌日に退院。涙と衝撃の体験

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初めての出産は、破水から始まり、なんと24時間たっぷりかかる長丁場でした。途中から硬膜外麻酔(出産の痛みを軽くする麻酔)を受けたものの、出産は初めてということもあり、心身ともに疲れ果てました。やっと生まれた我が子、ともやを腕に抱いた瞬間の感動は言葉に尽くせません。ただ、喜びもそこまで。その後の展開に私は衝撃を受けることになるのです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、産湯に入れられ、身体検査などを受けた後、私の隣にぽんっと置かれたまま。「これからどうしたらいいの?」と疲れ果てて意識も朦朧となっている私は戸惑いましたが、誰も何も教えてくれないばかりか、看護師も見あたりません。日本の産院のように、授乳方法、おむつの替え方なども教えてくれないばかりか、コールボタンでナースを呼んでも誰も来てくれる気配がないのです。病棟に看護師が来たときに質問しようと思っても「泣いたら授乳しておむつを替えてね」とそそくさと行ってしまい、途方に暮れてしまいました。

さらには、食事を部屋に持ってきてくれるというシステムもなく、産後数時間の体でもカフェテリアに歩いていかなければなりません。まだ痛みもあるのに、カフェテリアまで這うようにして行き、干からびたサンドイッチを泣く泣く食べながら、「これがイギリスの公立病院の現実なのか…。」と後悔しても、時すでに遅し。また痛みをこらえて、這うようにして自力で自室に戻ると、大部屋には多くの赤ちゃんたちの泣き声が響き渡り、若いママたちは、赤ちゃんをどう扱えばよいのかわからず、途方に暮れて赤ちゃんと一緒に泣いている子までいました。のんきに「みんなでアフタヌーンティーでも楽しめるかも」と考えていた私の期待は、あっさりと打ち砕かれました。

ダディは立ち会い出産をしてくれましたが、それもまた衝撃の出来事につながりました。イギリスには「Wet the Babyʼs Head(赤ちゃんが生まれると、家族で出産後回復した妻とパブなどに行き、お酒を飲んでお祝いする)」という伝統行事があります。通常は出産後、母子が落ち着いてから行うものですが、ダディは、生まれたてのともやを義理母とそのパートナーが見に来た日に、私とベイビーを置いて3人でパブにお祝いに出かけてしまったのです。

産後でホルモンが乱れている私は、「ここにいて手伝ってほしい」と言いたかったのですが、ショックで言葉にならず…。うれしい日のはずなのに、ショックと出産の疲れで、一睡もできず涙したことは忘れもしません。この一件は、かなりトラウマとなりました。

さらに追い討ちをかけるように、出産翌日、看護師から突然、「あなたはとても元気そうだからもう家に帰ってください。ベッドが足りないのですよ」と言われました。日本では考えられないことですが、出産後の体で這うようにカフェテリアに行かねばならず、行ったとてパサパサのパンに薄いハムが挟んであるだけという状況よりは帰宅したほうがよかったので、私は出産の翌日に帰宅することにしました。

退院後は自宅でダディが活躍してくれました。また、病院では何も教えてもらえませんでしたが、イギリス特有の助産師訪問制度には本当に救われました。産後数週間、助産師さんが定期的に訪問してくれて、授乳の仕方やおむつ替えなどを丁寧に教えてくれたことは、本当に感謝しています。

産後2週間で長距離フライト。社宅での新生活

その後私たちは、生後2週間のともやと一緒に、イギリスからダディの新しい勤務地である香港へ飛行機で移動しました。CAさんも「こんな小さい赤ちゃんは見たことがない」と驚いたほどです。幸いにも、ともやがあまり泣かない子だったことに救われ、長距離フライトを乗り切ることができました。

新居は荷物がまだ片付いておらず、家具もそろっておらず、小さなともやを抱っこしながらの買い物は、まさに新米ママの試練そのもの。今思えば「若さって偉大」です。

私たちが住んだのは、ダディの勤める銀行の社宅でした。そのレジデンスは、さすが競争社会の香港らしく、銀行内でのランクによって住む場所が分かれており、最初に住んだレジデンスは、ダディと同レベルの職級で、年齢的にも近く、同じくらいの子どもたちが多く住む25世帯くらいのマンションでした。

同じ時期にイギリスから転勤してきたアンディとイレーン夫妻には、ともやと誕生月が同じダニエルという男の子がいました。奥さんのイレーンは、私がともやを産んだ産院の看護師さんだったことがわかり、意気投合。お互い助け合いながら、なんとか生活に慣れることができました。

イレーンは香港に来てから専業主婦だったのですが、驚いたことは、夜は昼間働いているご主人が授乳をしていたこと。彼女は当然のように「昼間は私が授乳しているから、夜は彼が授乳をする」というのです。それをダディに話すと「じゃあ僕もやるよ」と快く引き受けてくれました。しかしながら彼の記憶では毎日やったということですが、私の記憶では数回でした。どちらが正しいかは、いまだに謎です。

当時某インターナショナル銀行の香港支店で働いていたダディ。大学卒業後すぐに香港で3年間働いていたこともあり、彼にとって香港は第二の故郷のようで友人も多く、会社帰りによく飲みに誘われていました。

一方、私は初めての土地で産後の体を抱えながら、ともやとの二人きりの生活。酔って遅く帰宅するダディをただ待っているのは精神的に辛く、産後のホルモンバランスも乱れていたせいか孤独感が募るばかりでした。ダディはそんな私に気を遣ってか、知り合いを紹介してくれたり、家に友達を招いてくれたりしました。ただ、生後1ヶ月のともやがいながらのホスト役は正直かなりの負担でした。食事を作るだけで精一杯。友人が到着する頃には精も根も尽き果て、ベッドに倒れていたこともあります。彼なりに私に気を遣ってくれていたのかもしれませんが、その気遣いがかえって私を疲れさせるという悪循環に。

その後数ヶ月、日中をともやと二人で過ごして私はかなり閉鎖的になっていました。ダディはやりがいのある仕事をして毎日充実しているのに、私は一日中赤ちゃんのお世話と家事をしているだけ。パン屋さんでイキイキと働く人を見て、「なぜ私には仕事がないのだろう」と、そんな思いにふける日々が続きました。そして、少しずつ新しい環境に慣れていく道を探し始めました。

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この続きは、是非書籍でご覧ください。

もういいじゃん、私が楽しめば。 夫は英国人、6人子持ちアラカン母のエッセイ
(2025/06/12時点)

※本記事は、『もういいじゃん、私が楽しめば。 夫は英国人、6人子持ちアラカン母のエッセイ』著:Lialico Mama/KADOKAWAより抜粋・再編集して作成しました。

Lialico Mama(りありこママ)

ラスコットエバンス美穂/YouTubeチャンネル「LiaLico Channel」の動画配信クリエイター。

1966年広島県生まれ。アメリカのミネソタ大学を卒業後、東京で就職。30歳の時、英国人と結婚。夫の転勤などに伴い、6か国へ移住しながら、4男2女の6人の子どもを育ててきた。50歳の時、家族の日常を紹介する動画配信をスタートし、登録者数は27.5万人超(2025年3月現在)。バルセロナ在住。

YouTube:「Lialico Channel」
YouTube:「Lialico Mama’s Room 58歳6人子持ちだっていいじゃん」
Instagram:@leahrikophoto

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