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2026年03月18日 17:31 更新

生成AI動画の拡散が生んだ「ツキノワグマなら勝てる」という誤解…クマに遭遇したときの正しい対応とは?

2025年、日本のクマ出没と人身被害は過去最悪規模に達しました。環境省の速報値によると、2025年度のクマ類の出没情報は4万9916件。1月末時点での被害人数236人、死亡者人数は13人と、過去10年で最多。また7~9月の数値で、人の生活圏でのクマ被害の割合が全体の70%を超えて高くなっています。

これらの数字が示すのは、「山に入らなければ安全」という従来の前提が崩れつつあるという現実です。子どもの通学路や身近な公園でも遭遇が起こり得る今、保護者が正確な情報と構造的な背景を知ることは、過度に恐れず・過小評価もせず、安全を守る上で欠かせない要素となっています。

では、この複雑な“クマ問題”の本質はどこにあるのでしょうか。なぜこれほど急激に出没が増え、なぜ都市近郊にまで現れるのか。何をどうすれば被害は減らせるのか。

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(※画像はイメージです)

そこで話を聞いたのが、東京農工大学・小池伸介教授です。小池さんはツキノワグマ、森林生態系、生物多様性、植物−動物相互作用を専門とし、25年以上にわたり奥多摩・日光を含む関東のクマ分布の変遷を追ってきた、日本でも数少ない「クマを“個体”と“生態系”の両面から語れる研究者」。国内調査だけでなく、直近1年はノルウェーでヒグマ研究チームと共同研究を行い、国際的な視点で日本の状況を相対化できる立場にもあります。

3月2日に発売した新書『クマは都心に現れるのか?』(扶桑社)では、2025年のクマ騒動を研究者として分析しています。いま日本で起きている事象を、一過性のニュースではなく「生態系と社会の変化が重なる“必然”」として読み解ける専門家である小池さんに、日本に住む我々とクマの直面している“異常事態”について、話を聞きました。

■ツキノワグマに勝てると思わない方がいい

ーー小池先生はなぜツキノワグマ研究を始められたのですか。

小池伸介教授(以下、小池) 高校時代(1990年代)に「高速道路で分断された森をつなぐ」という記事を読んで、森のコリドー(緑の回廊)に興味を持ち、森林や動物について学びたいと思うようになりました。
大学で山梨のクマ研究プロジェクトに送り込まれたのですが、当時は技術的に難しく、ツキノワグマの行動を直接観察することはほぼ不可能。なので長らく、クマが果実を食べて種を運ぶ=種子散布という、森のなかでの役割を中心に研究してきました。今は技術が進んで、GPS首輪に小型カメラを付け、クマ自身に生活を“撮って”もらっています。見えなかった生活史が見えるようになったのは大きいですね。
この1年はサバティカル(研究休暇)で、ノルウェーのヒグマ研究チームと共同研究をしてきました。3月に日本へ戻ります。

ーー2025年の日本におけるクマ騒動はまさに異常事態で、クマの情報に子どもが怯えたり誤解したりという影響もありました。

小池 特にお子さんは簡単に手に入る情報を信じてしまいやすい。そういう意味では、やっぱり保護者の方が情報取得に際してリードしてあげてほしいです。SNSだけじゃなく、新聞とかテレビのニュースとか、複数の種類の媒体から得た情報を照合し、何が正しいか正しくないかをお子さんと話してほしいと思います。

ーーSNSでも過激な動画が出回りました。

小池 刺激的な情報が広がりやすい時代になっていますよね。2025年のクマ騒動の特徴としては、やはりインターネット上での情報が溢れたことが大きかったと思います。多くの人が正しい情報にたどり着けない場面も多かったのではないでしょうか。
明らかな偽情報を流している人もいて、しかしそれを皆さん信じてしまうーー「本当のクマとは何か」が、多くの人に知られていないことを痛感しました。

(小池伸介さん/提供写真)

ーー特に気になった誤情報、たとえばどんなものがありましたか。

小池 非常にまずいと思ったのは、生成AIによる動画です。「ツキノワグマなら、ほうきで追い払える」「チワワなどの小型犬でも撃退できる」「食べ物を与えれば山へ帰る」といった作り物の動画が大量に出回りました。あたかも「ツキノワグマなら戦って勝てる」という見せ方をしている動画がたくさん溢れていたのです。
しかも、最初に投稿された時点では「これは生成AIによる動画です」と付記されていたものが、転載されていくうちにどんどん「本物の動画」として回っていく。これらは命に関わる判断を誤らせるもので、とても危険です。クマについて何も知らない人があのような動画を見て「なんだいけるじゃん」と思ってしまうと、今後、事故に結びつきかねません。

ーー実際のところ、ツキノワグマについてヒグマと比べると大きくはないという印象を持っている人は多いかもしれません。とはいえクマですから、人間が敵う相手ではないわけですよね。

小池 相手はクマです。ヒグマは人間の遭遇時に死亡率が高いですが、ツキノワグマの場合は重傷化率が非常に高くなります。というのも、ツキノワグマは立ち上がると人の顔面の高さに前肢が届きやすく、クマがポンと前肢で払っただけでも人間の目や鼻は簡単に取れてしまいます。勝てる相手ではないことを前提に、接近・挑発・撮影は避けてください。

■家庭でできること「誘引物」を作らない

(※画像はイメージです)

ーー今年の夏もまた去年と同じような事態が繰り返されるのでしょうか?

小池 昨年被害の大きかった東北地方で、同規模の被害が今年も再現される可能性は高くないと思います。昨年のクマ大量出没の直接の引き金は、ブナ科堅果(ドングリ)の凶作でした。東北以外で今年それが起きれば、その地域では出没が増える可能性がありますが、とはいえ東北ほど個体数が多い地域ばかりではないので、「何千頭」という規模にはなりにくいと考えています。

ーードングリの豊凶周期が関係するのですね。

小池 そうですね。ドングリはだいたい2~3年周期で豊作と不作を繰り返します。東北に関してはおそらく、今年はそれなりに実りが良くなると思われるので、山に食べ物もありますし、昨年かなり駆除をしたため、それほど市街地にクマが出てくることはないと思います。とはいえ、また不作の年は必ず訪れますから、各自治体で長期的な視野を持ち、対策を進めていかなければなりません。

ーー地域の住民としては、どのような対策が必要でしょうか。

小池 まずは家庭周りの誘引物をゼロにすることです。典型例は放置された柿の木で、昨年、テレビの映像でも、よく柿の木に登ってるクマの映像がありましたよね。特に高齢化した集落などでは、庭の柿の収穫も難しくてほったらかしになっていることは少なくありません。
そのほか、屋外の生ゴミ、外置きのペットフード、電気柵などの対策をしていない農地なども、強い誘因です。人間が食べられるものは全てクマも食べられますので、そういったものは全て誘引物になるのです。近年は放任果樹の伐採補助など行政の支援も増えているので、個人で抱え込まず自治体に相談してください。まずは「人間の食べ物がクマを誘引するものになっている」という認識を持つことが大事かなと思います。

■クマを撮らないで!

ーークマが出没する地域では、通学路や学校で子どもたちがクマと出くわすリスクもあります。クマと遭遇したとき、私たちはどうすればいいのでしょうか。

小池 静かに距離を取り、建物や車へ退避します。①走らない、②叫ばない、③撮影しない、を徹底してほしいです。走ることによってクマがパニックになって追いかけてくる危険性があります。
昨年の騒動で非常に驚いたのが、クマの至近距離に立ってスマホで動画や写真を撮影することが横行していたことでした。これではクマが「なんだ、人は何もしてこないから大丈夫だな」と学んでしまう懸念があります。クマを見かけたらとにかく静かに立ち去ることです。

ーー情報収集の方法についても教えてください。

小池 自治体の目撃情報マップや出没速報は、日常的に確認してほしいです。特に「普段は出ない場所に出た」という情報は要注意。 加えて、地域で“冬の振り返り会”をおすすめします。「どこで、何が誘因になり、どんな導線で来たか」を洗い出し、優先順位を決めて夏までに対策したほうがいいですよね。

ーー先ほど「本当のクマとは何か」が知られていないというお話がありましたが、童話や童謡に出てくるクマさんや、可愛らしいキャラクターとしてのクマはすごく人気があって親しみを持たれていますが、現実にすぐそこで暮らしている野生動物だという認識が薄くなりすぎていたかもしれません。そのことを改めて昨年は思い知らされました。

小池 はい、多くの人は「クマ」という動物に親しみを持っていたと思います。しかし、そこに昨年のようなセンセーショナルな騒動が巻き起こると、特にネット上では「可愛いクマを殺してはいけない」「凶暴な人食いグマは殺すべき」みたいな極端なイメージでの議論になってしまうのだと感じました。錯綜する情報に躍らされず、現実的な捉え方をしていきたいですね。

『クマは都心に現れるのか?』(小池伸介/扶桑社)
クマは都心に現れるのか?
(2026/03/18時点)
※参考データ
環境省「クマ類の出没情報について [速報値](令和8年3月3日)」https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/syutubotu.pdf
環境省「クマ類による人身被害について [速報値](令和8年2月9日 )」 https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/injury-qe.pdf
環境省「令和7年度のクマ類の動向(令和7年11⽉)」https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/kuma-docu-r071106.pdf

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