ふつうじゃない日々がくれた幸せな変化。星野真里さんが難病「先天性ミオパチー」の娘・ふうかさんと歩んできた10年
我が子の首がすわらない──はじめは小さな違和感から始まった「ふつうじゃない日々」。俳優・星野真里さんと元TBSアナウンサー・高野貴裕さん夫婦の長女・高野ふうかさんが、国指定の難病「先天性ミオパチー」と診断されたのは、2歳のときでした。
「先天性ミオパチー」とは、生まれながらに筋組織の形態に問題があり、幼少期から「筋力が弱い」「体が柔らかい」などの筋力低下に関わる症状が認められる疾患です。ふうかさんは現在、愛車の電動車椅子に乗り、呼吸をサポートする人工呼吸器を使っています。
星野さんと高野さんは2024年9月、ふうかさんの病気を公表し、Instagramを開設。現在10歳のふうかさんが繰り出すバイタリティ溢れる投稿は多くの支持を集め、フォロワー数は10万人を超えました。
そんなふうかさんと過ごしてきた10年を綴った書き下ろしエッセイ『さいごにきみと笑うのだ ふうかと紡ぐ ふつうの日々と ふつうじゃない幸せ』(小学館)を上梓した星野さんに、話を聞きました。
■「謝らなくちゃいけないことなんてない」
ーー2015年7月にふうかさんが生まれて、最初に発達で違和感を覚えたのはどんなことでしたか。
星野真里(以下、星野) ふうかが生まれて生後3~4ヶ月が経ったころ、周りの子たちの首がすわる時期になっても、その気配がまったく見えなかったことから、「何か違うのかもしれない」という違和感を抱くようになりました。
その不安が一番強かったのが、生後3ヶ月〜半年頃だったと思います。当時は少しでも希望につながる情報がほしくて、SNSやインターネットで必死に調べていました。
6ヶ月健診をきっかけに大きな病院へつながり、今もお世話になっている主治医の先生と出会ってからは、自分で情報を探し回ることは自然と減っていきました。実際に先生や、福祉・療育の現場で日々子どもと向き合っている方々と直接話す中で、「困ったことは、目の前にいる専門家に聞く」という姿勢に切り替わっていったんです。
先生からは「インターネット上には、実は古い情報も多いんだよ」と教わり、自分たちが前向きになれるような情報は素直に受け取って「うちにもこういう未来があるのかな」と支えにしつつも、ネガティブな情報に必要以上に心を揺さぶられないよう意識するように、徐々になっていきました。
ーー診断が確定するまでのあいだ、パートナーである高野さんと大切にしていた“共通の心構え”のようなものはありましたか?
星野 家族として大切にしていた共通の心構えでいえば、「誰のせいでもない」という思いです。診断前、娘に何か障がいがあるのかもしれないと考えたとき、まず私がしてしまったのが妊娠中の自分を責めることでした。妊娠中に何かしてしまったのかもしれない、逆に何かすべきことをしなかったのかもしれないと思って、つい「ごめんね」という言葉を口にしがちでした。
でも夫が「謝るのはやめよう。謝らなくちゃいけないことなんてないし、誰も悪いわけではない」と言ってくれて、すごく救われました。それ以来、「ごめんなさい」は「ありがとう」に言い換えるようにしました。「今、目の前にいてくれてありがとう」「笑っていてくれてありがとう」。その一言の変化だけでも、世界の明るさや自分の心持ちは大きく変わったような気がします。
■最後に背中を押してくれた、父の行動
ーー医師や専門家とのやり取りの中で、指針となった言葉はありますか?
星野 今でも一番の支えになっているのは、主治医の先生がかけてくださった「この子は、この子なりのスピードで成長していきます」という言葉です。
もちろん同世代の子どもたちと比べれば、できないことや難しいことは多くあります。でも少し前の娘と比べれば、確実にできることは増えていますし、彼女のスピードで成長している。
そのスピードがゆっくりなおかげで、こちらもひとつひとつのささやかな成長を発見できて、しっかり味わい、心から喜ぶことができます。そう考えると、私たちは親としてラッキーな子育てをさせてもらっているのかもしれない、と思っています。
ーーこの1年、ふうかさんのInstagramを見ていても、精神的な成長も含めてどんどん大人になっていくんだなと感じました。
星野 そうですね。どうしても身体のハンデは大きいので、なかなか自分で動くことができないぶん、自分の言葉で周りに伝えてサポートしてもらって、自分がやりたいことをできるようにするんだよということは、本当に幼いときから話してきました。私たちが伝えてきたことを彼女なりに一生懸命受け取って、その成果を今、毎日のように見せてもらっているなと思います。
ーーふうかさんのInstagramを開設して病気を公表するにあたって、迷いも大きかったと思います。背中を押された瞬間はいつでしたか。
星野 公表について一番迷ったのは、Instagramを始める直前でした。一度始めたら後戻りはできない。その覚悟が必要でした。開始日は9月15日、敬老の日で、ふうかと一緒に実家に帰省していたのですが、「いよいよ明日から始めよう。でも本当に始めてしまっていいのかな?」と、かなりドキドキしていました。
そのとき、父が「孫のInstagramを見るために、初めてアプリをスマホに入れた」と聞いたんです。娘である私も、一応以前からInstagramをやっているんですよ(笑)。娘のためには始めなかったSNSを、孫のためには始めるなんて、父はそれだけ楽しみにしてくれているんだなと。父が喜んでくれるのならきっと大丈夫だろうと思えて、最後の最後で背中を押してくれたのは父の存在でした。あの瞬間、「私は今も両親に支えられているんだな」と感じましたね。
■「ふつう」の世界が一新した!
ーーふうかさんの病気との向き合いをきっかけに、星野さんにとって「ふつう」という言葉の意味はどんなふうに変わりましたか。
星野 娘は日常生活のほとんどで介助が必要です。私たちが無意識にやっている、朝目覚めて「布団を持ち上げる」「起き上がる」「立ち上がる」「体を伸ばす」という当たり前の行動の一つひとつが、彼女にとっては難しいことなんですよ。
今まで自分がふつうにやっていたすべてのことが当たり前じゃなくて、「あ、伸びをするのであれば今私はこういう筋肉を動かしてるんだ。脳がそれを指令して神経が伝えてるんだ」なんて、それまで考えもしなかったこと。どの瞬間も驚きや発見があって、本当に世界が一新したっていうような感じですよね。
もともと私自身が「私なんか」って思いがちなんですけど、「いやでも私、歩くことも話すこともできているし誰かのために料理することもできてるし、ありがとうって伝えることもできてるし」。自分ができていることを数限りなく感じることができて、これが「ふつう」じゃなくて「すごいこと」なんだって思えたのは彼女のおかげです。
娘と出会ったことで、自分の体をこれからも長く健康で維持することがとても大切だなと思うようにもなりましたし、私自身を大切にすることができるようになったなと思っています。
ーーそれはすごい変化ですね。一緒に過ごす中で、ふうかさんから学んだこととして一番大きいものは何だと思いますか?
星野 一番大きいのは、「人との向き合い方」です。娘だけでなく、娘のまわりにいてくれる子どもたち、お友達から学んだことが大きいですね。
大人になると、常識や周囲の目を気にしがちですが、子どもたちはとても素直です。目の前の相手が困っていれば手を差し伸べるし、腹が立てばちゃんとぶつかる。一対一の関係に、まっすぐ反応していいということを教えてもらいました。「こうあるべき」という枠を外す大切さを、娘やその周りの子どもたちから、今もたくさん学んでいます。
■「中学受験」という新たなチャレンジ
ーー子どもたちから学ぶことがいかに大きいか、子育てをしていると実感することばかりです。自分なりのペースで成長しているふうかさんですが、最近の予想外のチャレンジは何でしたか。
星野 すごいことがありました。私がお料理を作って、少しリビングから離れて戻ってくると、テーブルの上に箸が並べてあったんです。「あれ、これ誰がやったの?」「私がやった」「え、パパと協力してやったの?」「いや、私がやった」って。
誰かに手伝ってもらうことなく、自分で引き出しを開け、自分で一生懸命引っ張って箸を取り出し、それぞれの箸を掴んで席に並べていたんです。たぶん、人生で初めて誰にもサポートされずお手伝いをしてもらい、すごく感動しました。日々の生活をよく見て、何がどこにあるのか誰がどこに座るのかわかっているし、その人のための箸を選んでちゃんと並べてくれたことが伝わってきて、本当にうれしかったです。
ーー胸がいっぱいになりますね。ふうかさんは4月で小学5年生になりますが、中学受験というチャレンジも決断したんですよね。きっかけを教えてください。
星野 きっかけは、「彼女がこれから生きていく将来の選択肢を一つでも増やしてあげたい」という親心からスタートしています。公立以外の私立中学や都立中学という選択肢もあるんだよ、受験をするなら学力が必要になる、それは障がいの有無に関わらず同じ条件だよ、といったことも含めて、「こういう道もある。でも別の道を行った場合にはこういう可能性もあるよ」と、私たちが彼女にプレゼンテーションした結果、もう今は「絶対受験するんだ」ってやる気になっています(笑)。
ーーふうかさんが行きたい学校があるということですね。
星野 そうですね。学校見学をして、車椅子の児童も通えるのか伺ったとき、学長さんが「大丈夫ですよ」と本当に明るく、軽く、何でもないような、そういう感じでお返事をしてくださったんですよ。
やっぱりどうしてもその車椅子であること、人工呼吸器をつけていることで、難色を示されることも多いのですが、第一段階として扉を開いて待ってくれている学校があることが、娘にとってはものすごくうれしかったみたいです。
学園祭にも遊びに行かせていただいたのですが、そこで中学生のお兄さんやお姉さんたちが、慣れないながらも一生懸命主体的に車椅子のサポートをしてくれて、娘を見学に連れて行ってくれました。親から離れて先輩たちとひと時を過ごしたことも、本人としては自信になったようで、「自分もそういうお兄さんお姉さんになりたいな」という気持ちが芽生えたことで、受験という大きな目標を掲げているのかなと思います。
■嗚咽しながら書き下ろした
ーーエッセイの執筆を通じて、星野さん自身が救われた瞬間はありましたか?
星野 正直、何度もありました。いつも、っていう感じですね。私は日記を毎日つけていたわけではないので、写真や記憶を辿りながら書いたのですが、その中で娘と思い出話に花が咲いてさらに思い出すこともあって。振り返ると、10年しっかり生きてきたなって思わずにはいられないエピソードばかりで。
その当時の感情がよみがえってきて、泣きながらパソコンに向かったエピソードもいくつもあります。ふうかの親友家族たちと海外旅行に行ったエピソードも、自分たち家族だけの単位ではなかなか難しいことですが、ふうかを通して知り合った仲間とだったら可能性がぐんと広がる。そのご縁がありがたすぎて、「ありがとう」と嗚咽しながら書いていました。
中には悔しい涙や悲しい涙もあったのですが、そういう大変な時期を私たち乗り越えられたんだね、ってうれし涙に変わりました。ふうかも私も、頑張って生きてきたねって。自分自身を少し褒めてあげられる、そんな時間になったと思います。
ーー最後に、本のタイトル『さいごにきみと笑うのだ』に込めた思いを教えてください。
星野 私自身が「生きるって大変」と思っている人間ですが、人生の大きな目標として、最期に「ああ、楽しかった」と笑って終わりたいと考えています。一日の終わり、年の終わり、そして人生の終わりに、「楽しかったね」と言い合える関係でありたい。その思いを、このタイトルに込めました。多く方に想いが届けば嬉しいです。
星野真里
1981年埼玉県生まれ。青山学院大学文学部卒業。1995年NHK『春よ、来い』でデビュー。同年TBSテレビ『3年B組金八先生』にて、坂本乙女役を好演、広く認知される。2001年日本テレビ『新・星の金貨』主演、同番組主題歌「ガラスの翼」でCDデビュー。2005年『さよならみどりちゃん』で映画初主演し、第27回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。現在は俳優業のほか、コメンテーター、エッセイ執筆、ナレーションなど幅広く活躍。特技は短歌。
星野真里さんInstagram:@mari_hoshino.7.27
高野ふうかさんInstagram:@fuka_9_
(撮影/松野葉子 ヘアメイク/佐々木篤〈グルーチュ〉 スタイリング/Yoshino 取材・構成/マイナビ子育て編集部)
