クマは本当に増えているの? 科学で読み解くクマの個体数管理──適正な生息数とは何か
レジャーシーズンが近づき、自然の中で過ごす時間が楽しみになる一方で、昨年のクマ出没のニュースが頭をよぎり、不安を感じる人も少なくないのではないでしょうか。
\ニュースでは触れられない“クマ出没の本質”/
ツキノワグマの生態を25年以上研究してきた“クマ博士”こと小池伸介氏が、相次ぐクマ出没の背景にある原因や、クマの世界で起きている変化を科学的視点からひもとく書籍『クマは都心に現れるのか?』(扶桑社)。クマと人との関係を科学的に読み解く1冊です。
今回は、クマの大量出没を防ぐための「個体数管理」の考え方について、小池氏の解説を書籍から一部抜粋してお届けします。
「何頭いるか」より「何頭いてよいか」は社会が決める
一般の人は「何頭いるのか」という話を非常に気にする。しかし、例えば「日本全体で4万頭」と言われたとき、その4万頭が多いのか少ないのか、誰も判断できないのではないだろうか。重要なのは、各ユニットのクマが増えているのか減っているのか、また被害が減っているのか増えているのかがわかることである。その上で「何頭が妥当か」という問いに対しては、もはや生物学的な問題ではなく、社会的な許容度の問題になる。つまり、クマへのポジティブな価値観とネガティブな価値観の差が最大になる、許容できる生息数を社会全体で探るのである。
野生動物の最適な生息数
野生動物の生息数が変化に対する、人々の動物に対する価値観の変化を示した模式図(Conoveretal.2022を改変)。実線はポジティブな価値観、点線はネガティブな価値観を示し、灰色の矢印はポジティブな価値観からネガティブな価値観を引いた価値観が最大になった点で、社会における総価値観が最も高い状態である。その時点の生息数(黒丸)が社会にとって最適な生息数ともいえる。左上は、欧米での関係を示し、野生動物は狩猟資源としての価値があるため、生息数が増加することで価値は一定までは増加するが、高止まりする。一方、ある一定の生息数を超えると、被害が発生し始めることで寛容性が低下し、ネガティブな価値感が指数関数的に上昇する。右上は、2025年秋の日本の状態。すでに、狩猟資源としての価値がほとんどないため、生息数の変化にかかわらず、ポジティブな価値感はほとんど変わらない。一方で少しでも事故が発生すると、ネガティブな感情が急激に上昇する。
左下は各種のクマ対策が実施されたることで、期待される関係を示す。様々な対策を実施し、被害を未然に防ぐことでネガティブな価値感の増加速度を和らげ、社会的に許容できる生息数も増やすことが出来る。右下は、各種対策は行わずに、たとえば狩猟資源(ジビエ)としての価値を高めた状態。単にジビエ利用だけに注目しても、被害は減らず、クマに対するネガティブな感情は変わらず、社会としての許容できる生息数は大きくは増加しない。資源利用だけでは被害対策にはならない。
例えば、ある地域に500頭いるとしよう。500頭いても深刻な被害が続いているなら、その地域の人々にとって500頭は多すぎる。逆に、500頭いても被害がほとんどなければ、500頭でも問題ないということになる。つまり、個体数の推定値そのものが正確かどうかは、ある程度の範囲内であればさほど重要ではない。毎回、同じ方法で調査を続けることで、増えているか減っているか、増減がないのかのトレンドが把握できる。そして、実際に発生している被害との関係で、その地域の人々が許容できる個体数はどれくらいか、どこに何頭いる状態が望ましいのかを判断していく。そこで初めて適正な生息数が決まってくるのだと思う。
管理の実際という点から見ると、正確な個体数を把握するよりも、生息数の動向を追いながら被害の発生状況や対策の実施状況をフィードバックし、捕獲数を調整する方式以外は現実的には難しいだろう。もちろん、ユニットの生息数が限られ、一方で恒常的に被害も発生しているような地域では、微妙な舵取りをしなければならず、費用も手間もかけてそれなりに精度の高い個体数推定と充実したモニタリングが必要で、10の位ぐらいまでの生息数の推定が必要だろう。一方、山が深く、生息数も比較的多い中部・東北での生息数の推定はある程度の精度があれば十分で、100の位程度の生息数の推定でもいいだろう。
むしろ、ここまで被害を減らすには最低限何頭捕らなければならないのかというラインの試行錯誤することが大切だ。被害防除対策や環境管理、人の行動管理を粛々と続けるのは全ての大前提であり、その上で特にこれまで大量出没の規模が大きい地域では、山のクマの動向、被害の状況がどうなるかを見ながら、集落の周辺を中心にもう少し捕るか、もう少し捕獲数を抑えるかを決めるといった方法が現実的ではないだろうか。
これから始まる個体数管理に向けて、この80年間で私たちは4つのことを学んできた。1つ目は、クマという動物は獲ろうとすれば獲り切れる動物だということである。1960年代の捕獲数の増加の要因の一つに林業被害対策の捕獲があることは前述した。その要因となったのが田中式檻の開発、普及である。いわゆる箱型の鉄格子檻で、折り畳みができる構造であったため、道から遠く離れた人工林内にも運び込むことができた。人工林内でクマを簡単に捕獲できることから、クマ剝ぎの加害個体を確実に捕獲できる可能性が高まり、罠が開発された静岡県の大井川流域では一気に普及した。山の中に罠を仕掛け、檻の中にミツバチの巣箱を入れておくだけで、どんどんクマが獲れる。その結果、10年強の間で、数十㎞規模でクマの分布域が後退した。
2つ目は、ただし獲りすぎると、クマの数は回復しないことを四国から学んだ。四国でも、同じく林業被害対策として罠での徹底的な捕獲が決め手となり、気づいたときには回復できないほど数が減ってしまっていた。つまり、モニタリングを伴わない無計画な捕獲は、回復できなくなる生息数の閾値を超えてしまう恐れがある。
3つ目は、クマを獲りすぎないようにすることで、1990年代以降にクマの数を回復させることができた。回復不可能な閾値を超えず、森が残っていれば、数が増えるポテンシャルを持つ動物である。
4つ目は、人間社会の動向もクマの数を増やすことになる。この4つの学びを次の10年、20年のクマの個体数管理に生かすことができるかどうかが問われている。
※本記事は、『クマは都心に現れるのか?』<著:小池伸介/扶桑社>より抜粋・再編集して作成しました。
続きはぜひ書籍でご覧ください。
