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2022年08月04日 09:30 更新

妊娠中の妻が追突事故の被害に。第八子で初めての育休を取り、働き方をガラッと変えたパパ #男性育休とったらどうなった?

育児休業を経験し、子育てに奮闘しているパパの声を聞いていくインタビュー連載・「男性育休取ったらどうなった?」。今回は四男六女の大家族のご夫婦に、話を聞きました。

四男六女の大家族・五十嵐家

今回のパパ
五十嵐 悟さん/50歳/会社員・自営業(建設業)

●ご家族
妻:美奈さん/44歳/自営業
第一子:25歳(長男)
第二子:23歳(長女)
第三子:21歳(次男)
第四子:19歳(三男)
第五子:16歳(次女)
第六子:13歳(三女)
第七子:11歳(四女)
第八子:8歳(四男)
第九子:6歳(五女)
第十子:2歳(六女、2021年2月に他界)

(※お名前は全て仮名です)

●五十嵐家の育休
第八子 2013年10月~2014年3月
第十子 2019年11月~2020年11月

五十嵐 悟さんの1日のタイムスケジュール

妊娠中の妻が追突事故の被害に

ーーお子さんが10人とうかがい「すごい!」と思ったのですが、第八子の誕生時に初めてパパが育児休業を取られたのですね。どういうきっかけがあったのでしょうか?

悟さん 私はずっとゼネコン勤務で、転勤族だったんですね。妻は実家に頼ったりしつつ、ほぼ1人で子どもたちを育てていて……でも第八子の妊娠中に妻が車を運転していて追突事故に遭ったんです。私が家庭のことをやらないとどうにもならなくなりました。
当時は管理職だったのですが、会社と話して上半期の9月までに担当の案件をなんとか収めて、そこから半年間ほど育児休業を取ることに。育休に入るまで1ヶ月半は、仕事と家のこととをどう両立していたのか思い出せないほどフラフラでした。

美奈さん 事故の影響で第八子は早く生まれてNICUに入ることになり、私は自宅で安静に。 夫は朝5時に病院へ搾乳した母乳を届けて、一回家に帰って子どもたちの世話をしてから出勤して、帰ってまた家事育児をして睡眠は3〜4時間、みたいな生活でした。あれは本当に、大変だったと思います。
 もともと夫は仕事が忙しく転勤や単身赴任の時期もあって、育休を取ることこそなかったのですが、家事や育児に興味がないわけではなかったんですよね。第二子のとき、私は最初の10日くらい赤ちゃんの世話ができない状態で、「本当に自分の子だろうか?」と気持ちが不安定になってしまって。そのときに夫が言ってくれた言葉を今も覚えています。「君がその子を可愛いと思えないのなら、僕がその子を愛するから大丈夫だよ」って。そして仕事の現場から3時間おきに帰って、ミルクとオムツがえをやってくれました。
その後、私も赤ちゃんを可愛いと思えるようになって、限界まで追い詰められる前に回復できたのは夫のサポートのおかげだと思っています。

悟さん でも、私は仕事が忙しく、転勤も多くて。第三子までは出産に立ち会ってはいたものの、そこまで積極的に育児に関われていませんでした。しかし第四子の出産のとき、非常に感動しまして。

美奈さん そのときは初めて助産院での出産になって、夫が「俺が産んだ気がする」って初めて号泣して。そこからは以前よりも積極的になりましたね。

悟さん 第五子のときは、育児休暇ではないですが1週間有給休暇を取って家のことをフォローしました。ただ、第六子の妊娠中に昇進の話があり、管理者養成施設に二週間ほど行くことになって、それが臨月間近だったので私のいない間に妻に無理をさせてしまったんですね。そのあたりから少し、会社という組織に対する疑問というか、なんのために働いているのかっていうことを考えるようになりました。

ーー仕事が忙しすぎて、家族のために使える時間が制限されてしまうということですか。

悟さん そうですね。そして第八子のとき、妻が事故に遭い、やむにやまれず私は育休を取ったわけですが、職場に復帰したら自分の立場が以前とはガラッと変わってしまっていた。社内では「男が育児なんて」という価値観が根深く、それまで走っていた出世の道は閉ざされ、会社的には「問題のある社員」ということになってしまったんですね。
 その後、第九子ができたのですが、私はうつ病になってしまい、休職中に出産となりました。しばらく休職して会社に戻り、第十子誕生のタイミングであらためて育休を取ったのですが、するとそのときはもう、「男が育児なんて」とは言われなくなっていました。世の中のほうが一気に変わっていたのです。

室内のリフォームも木のすべり台もすべてDIYしたという五十嵐家。スゴい……!

六女を1歳3ヶ月で喪い、問い直した「働く意味」

ーーこの数年で、育休に対する社会の風潮はかなり変わりましたよね。

悟さん 世の中の流れが「なるべく男性も育児参加しなさいよ」みたいになっていたので、非常に取りやすかった。育休中に新型コロナウイルスの流行が始まり、最初は半年のつもりだったのですが結局1年間取りました。

ーーけれどそのあと、長くお勤めされた会社を退職しているのですよね。きっかけは何だったのですか。

悟さん 第十子の六女を1歳3ヶ月で溺水事故で亡くしたことです。六女は病院に搬送されてから10日ぐらい懸命に生きようと頑張っていました。私はそのとき、「育児休業を1年取ってずっと一緒に過ごしてきて、1歳数ヶ月でそんなことになって、何のために取ったんだろう。仕事ってなんなんだろう。肝心なとき家族といられないんじゃ、なんか違うんじゃないかな」といったようなことをぐるぐると考えて……それで、大企業ではなくても、小さくても自由度の効くような働き方にしようと。

美奈さん 夫は六女と過ごした1年間で、だいぶ価値観が変わって。「なんのために働くんだろう。なんのために仕事するんだろう」と突き詰めて考えた結果、「家族のために仕事をしている」というところに行きついたんだと話してくれました。

悟さん 六女が溺水事故に遭ってから入院して亡くなるまでの10日間、私はずっと仕事場と病院を往復していて。亡くなって数日間、現場を空けて戻ったら、クライアントから「子どもが死んだくらいでなんだ! 俺の現場はどうなるんだ」と言われたことが、最終的な決め手になりました。ある意味、その人は神の使いだったなって今は思うのですが(苦笑)、頭をハンマーで殴られたような衝撃があって。現場監督としていい給料をもらってはいたけれど、「俺の居場所はここじゃない。我慢してここで働く必要はない」と思ったんです。
 それから自分の持つスキルとか、やりたい仕事とかを全部紙に書き出してみました。成長して社会人になっていた上の子どもたちも、「自分を安売りしちゃいけないよ」とか「ちゃんとパパのことを欲しいと思う人がいるはずだから」とかいろいろと声をかけてくれました。

美奈さん 夫がどん底にいるとき、頑張って子どもたちが支えてくれて。ずっとひとつの組織に所属していたからか、夫は自分の良さを自分が一番わからない状態になっていたと思うんです。会社員として働いていた時代、社内のランク付けでしか自分の存在価値を測れなかったようなところもあって……。建築系の国家資格もたくさん保有しているのに、そんなの大したことじゃない、当たり前だと思い込んでいたんですね。

悟さん でも子どもたちや、お見舞いに来てくれた知人の言葉などもあって、おかげで自分の仕事を客観的に評価できるようになりました。それからは「自分はどうしたいか」を明確に決めて、会社に自分を合わせるんじゃなくて、自分の求めているものに合う会社や仕事を探しました。
 幸い良いご縁があり、今は半サラリーマン、半分個人事業みたいな感じで自分の働きやすい条件に噛み合う仕事のやりかたを現在も模索し構築をしています。

転職後は時間の使い方が柔軟になり、仕事の合間に畑作業や梅仕事も。

見えない家事をしていることがわかる

ーー今はどんなタイムスケジュールで家庭と仕事を両立していますか?

悟さん 早朝から仕事をして、子どもたちが起きてきたら手を止めて相手して、学校や保育園に送り出してまた仕事して、帰ってきたらまた家事をやったりして……家族中心に仕事を回している形です。

美奈さん 夫は家事も子どもの世話も全部できます。

悟さん やっぱり第八子を妊娠中に妻が事故に遭って、全部を私がやらなければいけなくなったとき、いかに妻をはじめとした女性たちがマルチタスクでいろんなことを同時進行で考えて行動してきたのかがわかりました。

美奈さん 面白かったのが、このあいだ私が仕事で1日外出して帰ってきた時、家の中はぐちゃぐちゃで、朝とまったく同じ光景が広がっていたんです。だけど夫は、私や子どもたちが出かけたあとに片付けをして、子どもたちが帰ってきてまたぐちゃぐちゃになったんだなって。それが私にもわかるから、「一日何をやってたんだ?」みたいな言葉は絶対言わない(苦笑)。ああ夫はきっといろいろやって頑張ってくれたんだなって。

悟さん それは逆の立場の場合でも同じ。たとえばシンクに食器がたまっていたとしても、「一回洗ったんだけど、またこうなったんだな」とわかる。家に子どもがいるときなんかは、とても自分のペースで仕事なんてできませんしね。妨害というか、常にトラブルが起こるので(苦笑)。皿を割った、ご飯をこぼした、見えない家事がいっぱい。それを考えると、会社で自分の仕事だけしていればいい状況が、いかに楽かと思うんですよね。なのに、そっちの方がお金持ってくる方が偉いと勘違いしていた時期が、私にもありました。家庭を守ってくれている人がいるから私も動ける、何かあったらそれこそどうしようもなくなる、ということがわかっていなかった。妻は、外で安心して働ける状況を作ってくれていたんですよね。

美奈さん とはいえお金も大事ですから。最初の育休のときは、お金がなくて苦労したよね?

悟さん あれはきつかった。育児休業給付金は上限があるので、当時の手取りの3分の1くらいしかもらえなかったんです。中高生の子どもたちもいるし、それじゃあとてもじゃないけれど足りない。どうしようもないので副業もしてなんとか生き抜いた日々でした。
 結局、男性側の給与の家計に占める割合が大きいと、育休取得も二の足を踏んでしまう。また、基本給が低くて残業代で稼いでるケースも、給付金が少なくて苦しくなります。こうした現状を改善していくことで、男性の育休取得率も、育休期間も、もっと伸びていくのではないでしょうか。

(取材・文:マイナビ子育て編集部、イラスト:ぺぷり)

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