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2024年09月28日 10:00 更新

竹内由恵さんインタビュー【1】結婚して静岡移住、仕事を辞めたら何をしていいかわからなくなり……「これは全然向いてないなって」

元テレビ朝日アナウンサーで現在はタレントとしても活躍する竹内由恵さん。結婚を機にテレビ局を辞め、夫の地元である静岡へ移住した竹内さんに、当時のことを聞きました。

■「絶対に自分が間違えてはダメだ」

(竹内由恵さんInstagramより)
(竹内由恵さんInstagramより)

ーー竹内さんは2008年にテレビ朝日に入社して、同年10月から『ミュージックステーション』の8代目サブMCに就任しました。いきなり大物アーティストばかりが出演する人気番組のMC、しかも生放送ですよね。

竹内由恵さん(以下、竹内) 『ミュージックステーション』は自分も視聴者として見ていて憧れの現場だったので、担当させてもらえるとわかったときは夢のような気持ちでした。上司から「竹内はミュージックステーション担当して」と言われた瞬間のことは忘れられないですね。
 でも同時に、毎週の生放送で、隣にタモリさんがいて、素晴らしいアーティストの方たちが来て……というのは、ものすごい緊張感でもありました。周りの方々に比べたら私なんてそこまで大したことをしていないのですが、当時の私にとってはその場で話すというだけでもとにかく緊張の連続で「絶対に自分が間違えてはダメだ」と意識していました。

ーー視聴者として見ているととてもスムーズな進行で和やかな雰囲気なのですが、やはりスタジオには緊張感があるのですね。

竹内 はい、特に楽曲のスタンバイの瞬間には一気に緊張が走るというか、ピンと張り詰めた空気が流れるんです。その真剣さをすごく間近で見させていただいてありがたく思うとともに、「自分は絶対にこの舞台を汚してはいけない」と思っていました。しばらくはもう緊張しすぎて、ずっとお腹が痛くて。毎週金曜になるとお腹を壊してしまって、ぐるぐる、ぐるぐる……ってお腹の音が鳴っちゃうんです。どうか周りに聞こえませんように、と祈っていました。

ーーものすごいプレッシャーだったんですね。

竹内 タモリさんにはずっと「素の状態で楽しめばいいんだよ」と温かい言葉をかけていただいていたのですが、自分の「素の状態」がなんなのかさえ全然わからなくて。ただ、次第に「あれっ、今そんなに緊張してないかも」と感じられるときが増えて、心からみなさんの音楽を楽しんでいる状態でお仕事できるようになっていきました。5年間、すごくいい経験をさせてもらったなと思います。

■夫と出会ったのは絶妙なタイミング

テレビ朝日でバリバリ働いていた頃の一枚(竹内由恵さんInstagramより)
テレビ朝日でバリバリ働いていた頃の一枚(竹内由恵さんInstagramより)

ーーその後、スポーツ・お天気キャスターとしても活躍の場が広がっていきました。

竹内 『ミュージックステーション』をやらせてもらってはいましたが、番組は週1でそれ以外の日に自分がなかなかお仕事いただけなかったので、自分からお仕事を取りに行かなきゃいけないと思って、スポーツ取材を始めました。政治や事件の現場はなかなか勝手に動くわけにいきませんが、スポーツなら自分の意思で取材に足を運ぶこともできたんです。
 続けていくうちにスポーツ関連のお仕事も振ってもらえるようになりました。スポーツ番組もやっぱり生放送が多いですし、その場の臨場感とか緊張を感じながら伝えるのですが、それも本当に刺激的でしたね。すごく楽しかったです。

ーーアナウンサーとして仕事が充実していた33歳のときに、竹内さんは退社して結婚・移住しています。大きな心境の変化があったのですか?

竹内 まさにそういう感じで、20代と30代でガラッと意識が変わりました。20代の頃は全くと言っていいほど結婚とか子どもとか興味がなかったんですけど、街中を手を繋いで歩いている母子の姿を見て急に「すてきだな。ああ、自分もああいうふうになりたいな」って本当に素直に思うようになって。「結婚して子育てをしたい!」という気持ちがどんどん膨らんでいるときに、夫と出会いました。
 夫は同い年で、彼も同じように「結婚して子育てしたい」と思っているときだったようで、トントン拍子に話が進んで結婚することになりました。

■仕事を辞めて初めて気づいたこと

ーー結婚って本当にタイミングなんですね。ただ、結婚して静岡へ行く、仕事を辞める、というのは大きな決断だったのでは。

竹内 そうですね。特にその頃は東京五輪を控えていて、自分が辞めることで職場に迷惑がかかってしまうだろうなと感じ、それは一番心苦しかったです。
 子どもが欲しいとか結婚したいという自分の思いと、でも仕事でみんなに迷惑を絶対にかけるし、こういうお仕事を任せてくれた上の人にも申し訳ないし……そういう葛藤はやっぱりありました。

ーーすごく等身大の悩みというか、多くの働く女性にとって同じような事で悩むタイミングはありますよね。

竹内 難しいですね。そして退社し、その後なにをするというプランもなく白紙の状態で浜松に向かいました。そして専業主婦としての生活が始まったのですが、しばらくすると自分は向いていないということに気が付きました。

ーーまさかの展開。

竹内 20代は仕事ばかりだったので、実際に仕事を辞めたら、何もない時間をどう過ごせばいいかわからなくて。もっと家のことを頑張れれば良かったんですけど、私は整理整頓が苦手で、残念ながら興味も持てませんでした。
 一方で「何かしないと」という気持ちはどんどん強くなって、毎日カフェでひたすら書き物をしていました。何を書いていたんだかもうよくわからないんですけど、結局そんな生活が少し続いたところで、「ちょっと私、やっぱり働いた方がいいタイプかもしれない」って夫に告げました。

事務所に所属し心機一転、仕事を再開した頃(竹内由恵さんInstagramより)
事務所に所属し心機一転、仕事を再開した頃(竹内由恵さんInstagramより)

ーーどんな反応でしたか?

竹内 「落ち込んでいるし、やってみたらいいじゃない」と最初は背中を押してくれました。実はその頃、妊活がうまく進んでいなかったのもあって、気持ちがふさぎがちなのを知っていて、理解してくれたのです。
 そしてちょうどその頃アナウンサーの経験を生かしてお仕事させていただけるというお話をいただいたので、その息苦しい状況を打破すべく挑戦したいなと思って、事務所に入ることにしました。
 ただ、その後、積極的に仕事をするようになると、夫は、「言っていたことと違う……」と戸惑っていました。でも自分でもそうなるまでわからなかったので、こればっかりは仕方がないですね!(笑)

ーー最終的にはわかりあえたのですね。

竹内 まだ結婚して5年ぐらいですが、そういうぶつかり合いをたくさん経験して、家族で平和に過ごすには何が一番いいのかを模索した結果、お互い理解が深まったのかなと思います。夫も今では私に対して「ああ、この人は仕事がないとダメなんだ」と思ってくれていて……というか、諦めたみたいです(笑)。今は応援してくれています。

竹内由恵さん/タレント、元テレビ朝日アナウンサー

(竹内由恵さんInstagramより)
(竹内由恵さんInstagramより)

慶應義塾大学法学部政治学科卒業。08年、テレビ朝日入社。『ミュージックステーション』『やべっちF.C.』など数々の番組で司会をつとめる。Mステ8代目サブ司会として、番組史上最長の5年間を担当。15年には『スーパーJチャンネル』メインキャスターに。19年3月に一般男性との結婚を発表し、同年末日にテレビ朝日を退社。夫の勤務地である静岡県に移住後、数カ月の専業主婦期間を経て、タレントとして活動を再開。21年に第一子、23年に第二子を出産。

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(写真:本人提供 取材・構成:マイナビ子育て編集部)

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