娘が1歳10カ月で救急搬送されICUに入院。障がい児の親になって気づいた、子育ての大きな課題。#男性育休取ったらどうなった?
育児休業を経験し、子育てに奮闘しているパパの声を聞いていくインタビュー連載・「男性育休取ったらどうなった?」。今回は、マイナビ社員で人材開発部門の部長を務めるパパにインタビュー。
パパが3カ月の育休を取得した原島さんファミリー
今回のパパ
原島 一貴さん/33歳/株式会社マイナビ 人材開発
●ご家族
妻:萌子さん/33歳/フリーランス(編集・WEB)
長女:朱寿(すず)ちゃん/3歳
●原島家のパパ育休
2021年9月に長女が誕生。2021年10月~12月末まで3カ月の男性育休を取得し、2022年1月に復帰。現在は週に2~3回在宅勤務。
原島家の休日のタイムスケジュール
■「授乳は3時間おき」にだまされた!
――最初に、一貴さんが育休を取得した経緯を教えてください。
一貴さん 結婚する直前に妻が全身性エリテマトーデス(SLE)という指定難病にかかっていることがわかり、医師に「出産はリスクがあるかもしれない」と言われていました。そのため出産後の妻の体調を考慮して、もし妊娠したら育休を取ることを考えていました。
――上司に育休のことを伝えたのはいつごろですか?
一貴さん 妊娠する前から妻の病気の状況などを上司に話していたので、いざ妻の妊娠がわかった際にも相談しやすかったです。妻と相談して、妻の体調を見ながら3カ月くらい取得したいと考えていました。
当時、私の部長職という役職での育休取得は前例がなかったんですが、会社役員は「部長も育休を取って当然」と考えていたらしく、スムーズに取得できました。
――育休中はどのように過ごしていましたか?
一貴さん 緊急帝王切開での出産となり、最初はバタバタでした。冷静に考えたら妻はおなかを切っているけが人ということ。僕が看病しないと! と、最初の1カ月間は家事・育児をほとんど任せてもらいました。
授乳は交代でやっていましたが、赤ちゃんのお世話に加えて買い出しも、食事作りも、洗濯も掃除も……と慣れない家事をこなす日々は、想像以上に大変でした。
――赤ちゃんのお世話はどうでしたか?
一貴さん 3時間おきの授乳がこんなに慌ただしいとは……一度ミルクを飲ませたら次の授乳まで少し休めるかな、というイメージで、甘く考えていました。実際はミルクを作って、飲むのにも時間がかかり、げっぷをさせるまでで1時間くらいかかる。そうすると次のミルクまでの間隔は実質2時間。さらに哺乳瓶を消毒したり、赤ちゃんがミルクを吐き戻してその片付けをしたり、すぐ泣くからおむつを替えて……やることは盛りだくさん。「授乳は3時間おき」の言葉にだまされたような気がします(笑)。
――毎日があっという間ですよね。
一貴さん でも寝不足になりながら1カ月間頑張ったら、2カ月目には家事スキルがかなり向上しました。とくに料理は平野レミ先生のテレビ番組を見ながら勉強したら手順よくできるようになってきて、妻もすごく喜んでくれましたね。産後2カ月を過ぎてからは妻の体調も落ち着いて、少しずつ外気浴をしたり散歩に出かけたりできるように。赤ちゃんの沐浴やおむつ替えもだいぶ慣れました。
ところが、3カ月目に娘が風邪をひいたんです。39度近い高熱が3~4日ほど続きました。せき込んで声もガラガラ、ミルクを飲んでも吐いてしまうし、鼻水もすごいから電動鼻吸い器で吸引してあげて……赤ちゃんの看病の大変さを痛感しました。
■「やっぱりママじゃないとダメか~」なんて言わせない!
――3カ月間の育休を取ってよかったと感じることは?
一貴さん 人生でもしかしたら一度きりかもしれない、生まれたばかりの娘との時間を妻と共有できたことはすごく嬉しかったです。娘もすごく僕になついてくれるようになりました。
それに自分の中に、ママに嫉妬するくらいの母性が芽生えた気がします。僕は産んでいないし、おっぱいも出ないけれど、「パパのほうがすずちゃんのことを好きなのに……」と。親戚で集まったときに、おじいちゃんに「やっぱりママじゃないとダメか~」なんて言われると「いや、パパでも大丈夫だし!」とイラッとします(笑)。
――親戚で集まるとそんなふうに言われがちですよね。
一貴さん だけど、それも育休を取ったからこそ知った感情だと思うんです。育休を取っていなかったら、僕もそのおじいちゃんと同じような立場になっていたかもしれません。
――ご自身の仕事に還元できたこともありますか?
一貴さん 女性にとって出産がどれだけ体に負担のかかることか、育休中の生活がどれほど大変なのかがよく理解できたので、部長として育児や家族のケアなどで休みを取る人の背景を想像する力がついたことはとても役立っていると思います。周囲の男性にも積極的に育休を取るように話しています。
■高熱とけいれん……救急搬送された病院でICUに入った娘
――育休を取って復帰すると、育児の解像度があがっているので、夫婦で協力して子育てしやすくなると思います。
一貴さん 僕もそう思います。夫婦でとても楽しく子育てしていたのですが……娘は1歳10ヶ月のときに急性脳症にかかり、現在も後遺症が残っていて、障害者手帳の等級で1級の肢体不自由と知的障害があります。
――当時の状況を詳しくお伺いしてもいいですか。
一貴さん 2023年7月末のことでした。在宅で新任課長向けの研修を実施している最中に、娘が急に39度以上の高熱を出しました。熱はあるものの比較的元気にしていたので、お昼休みに入るタイミングで車で近所の病院に妻と娘を送り、僕は午後の仕事もあり先に自宅に戻りました。
しかし病院の診察を受けて帰宅後、急激に娘の顔色が悪くなってけいれんし始めたのです。救急車を呼んだものの、新型コロナ患者や熱中症の救急搬送が多かった時期で、到着まで10分ほどかかりました。その間、娘のけいれんはずっと止まらなくて……心配で生きた心地がしませんでした。
――それは非常事態ですね。
萌子さん 30分ほどして救急車で病院に到着し、けいれんを抑える点滴をしてもらいましたが、おさまるまで1時間弱かかったと思います。もし熱性けいれんではなく急性脳症だとしたらその病院では診るのが難しいということで、救急車で2つ目の病院へ向かいました。
ところが、2つ目の病院に到着した直後、再びけいれんが起こってしまい、さらに詳しく検査や治療ができる病院へ転院することに。結局、3つ目の病院のICU(集中治療室)に入院して経過観察することになりました。
――入院先の医師から、症状についてどんな説明がありましたか?
一貴さん けいれんが群発的に起こっていたため、急性脳症の可能性が高そうだ、との話でした。医師からは、急性脳症のガイドラインにある「ステロイドパルス療法」という治療をしてもいいかどうかを確認されました。でも急なことだし、知識もないし、いいかどうか聞かれてもどうしていいかわからなくて……。
後遺症の可能性を聞くと、医師は「ステロイドを投与する治療では、少し脳が萎縮する可能性があるけれど、もし自分の子どもが同じ状態だったら私ならやります」と言ったんですね。その言葉を聞いて、治療をお願いすることにしました。
――たった1日で急激に容態が悪化してしまったのですね。入院しても予断を許さない状況だったと。
一貴さん 入院した日の夜、目を覚ました娘と少し話すことができました。娘は弱々しい声で「ミッキー行こう」と言ったんです。でも再びけいれんが起きて、数日間意識不明になってしまいました。
数日後に目を覚ました娘は、首もすわらず何も話せない、生まれたばかりの状態に戻ったようでした。その前の月に家族で海に遊びに行ったとき、とってもパパっ子で活発な娘は「パパ~!」と駆け寄ってきてくれていたのに……。
■絶望と回復、今も揺れ動く気持ち
一貴さん あまりにショックが大きくて、僕はなにもしてあげることができず、ただひたすら娘に似た症例を調べていました。率直に言って、絶望していました。目の前の娘の状態を受け入れて向き合おうとする気持ちと、絶望して現実逃避したくなる気持ちが、振り子のように揺れ動く日々でした。
ICUに入院している娘の面会に毎日通いながら、ふとした瞬間に娘との思い出のある場所を通りかかると「あのときの娘はいないのか……」と再び落ち込んで。毎日がその繰り返しでした。
萌子さん 娘が発症してから数カ月間は、発症前の娘の写真や動画を見ることができませんでした。スマホを開くと、たまに「何年前の今日」という写真が表示されることがありますよね。それを見るたびにショックで落ち込んでいました。
そんな気持ちの揺れも少しずつ落ち着いて、数カ月後には、自分の心が安定しているときに娘に写真を見せながら「すずちゃんは、こうやってしゃべってたんだよ」と見せてあげられることもあります。それでも1年経った今も、やはり落ち込んでしまうことはあります。
一貴さん 感情ですから、やっぱり揺れ動くんですよね。絶望して、受容して、でもまたつらくなることはあって……その繰り返しだと思います。
――ICUでの入院期間はどのくらいになったのですか?
萌子さん ICUには1カ月ほど入院していました。その間、私はフリーランスなので仕事を調整して、夫も会社に事情を話して看護休暇を取り、毎日面会に通いました。
一貴さん 娘の入院中、病気や後遺症についていろいろ調べて、後遺症に対してのリハビリ入院という方法があると知りました。娘の病状が急性期を過ぎて回復期に入ってきたタイミングで、担当医にリハビリ専門の病院に転院したいと相談し、紹介状を書いてもらって、転院することになりました。
――病院側からリハビリ入院を勧められたわけではないんですね。
萌子さん そうなんです。娘の場合、急性脳症の後遺症として、てんかん、知的障害、肢体不自由があります。退院後にどんなふうに看護していけばいいのかを調べました。
一貴さん 家庭によっては、子どもが急性脳症にかかり退院したあとは自宅で看護して療育などに通う人もいるようですが、僕たちは回復期に早期集中リハビリを受けたほうがいいんじゃないか、と考えました。
萌子さん リハビリ入院の場合、親子で一緒に数カ月間入院して、集中リハビリを行うプログラムが組まれていると知って、病院のケースワーカーさんに相談をしたら、リハビリの専門病院をいくつかピックアップしてくれました。その中から病床の空きを問い合わせ、実際に見学にも行って、運よく入院できるところが見つかったんです。
娘は8月末にICUを退院し、リハビリ専門の病院に4カ月間入院。私も付き添い入院をしました。
――保護者が様々な情報を集め、取捨選択をすることになるのですね。発症から1年2ヶ月が経つ現在、お子さんの様子はいかがですか?
一貴さん 首がすわらなかった状態から、今はつかまり立ちして足が一歩出そうなところまで回復しました。
萌子さん 今は週に何回か療育センターに通い、訪問リハビリと筋緊張をほぐすマッサージ、ST(言語療育)なども受けています。
3歳になりましたが、この1年は幼稚園や保育園には預けずに自宅で見ながら、リハビリや療育を受ける方法を取っていて、平日は毎日1~2時間、療育やリハビリの予定があります。
来年の春から集団生活ができたらいいなと思い問い合わせたところ、地域の幼稚園の2歳児クラスで受け入れてくれるところが見つかったので、そこにも月に2回通っています。
■障がいを持つ子どもの育児情報を集めることの難しさ
――障がいのあるお子さんを育てる中で、大変さを感じることもたくさんあると思います。
萌子さん 大変さしかない、と感じます。障害のある子へのサポートは、自治体によってかなり差がありますし、親は自分で情報を探して申請しないと受けることができません。
幼稚園や保育園も、障がい児の受け入れの可否はホームページにもどこにも記載がないので、1件1件電話で問い合わせるしかありません。しかもほとんど断られるから心が折れそうになります。
一貴さん 障がいのある子を育てる当事者の立場になって初めて、さまざまな社会課題があることを知りました。保護者は誰にも相談できず孤独や絶望を抱える中で、さまざまな情報を集め、選択をしなくてはなりません。どんな治療があるのか、どんな薬を選ぶのか、療育やリハビリはどうやって受けるのか……人によっては選択肢を知らないままに諦めているケースもあるんじゃないかな、と感じました。
こうした体験を経て、僕は今、新事業として疾患児・障がい児の保護者や支援者のマッチングサービスを企画しています。
――どのような内容ですか?
一貴さん 簡単に言うと、同じ地域や同じ障がい・疾患をもつ子どもの先輩保護者や専門家とマッチングしてWeb面談で相談ができるサービスです。
僕たちの場合だと、娘が急性脳症になった段階で、同じようなてんかんの症状をもつお子さんの保護者に、どんな薬を使っているか、どの病院を選んだか、どんな支援があるかといった情報などを相談したかったなと思うんです。地域の先輩保護者からの体験を聞いて選択肢が増えることは、子どもの将来の選択肢を増やすことにもつながると思っています。
――お子さんが障がいを抱えると、保護者は仕事の継続が困難になるケースが大半だという話もよく聞きます。萌子さんも仕事をセーブせざるを得ませんでしたよね。
一貴さん そうなんです。実際に90名以上の障がい・疾患児の保護者や専門家へヒアリングを実施しましたが、保護者は、自分のメンタル面や子どもの治療や療育、支援サービス、さらに自身のキャリアのことなどまで、相談先が見つかりにくい現状があることがわかりました。
とくに、医療的ケアが必要な子どもを預けられる保育園やベビーシッターがなかなか見つからないことは大きな課題です。私が聞いた中では、25人のベビーシッターに断られたという人もいました。預け先がなければ親は復職できませんよね。
――そこには高いハードルがあるんですね。
一貴さん でも自分もかつては、「障がいがあるお子さんがいてパパが働けるなら、ママは無理して働かなくていいんじゃない」という感覚があったと思います。今となっては信じられない発言ですが、当事者にならなければわからないことでした。
男女かかわらず、自分が望む社会的キャリアを築くための権利を与えられていないことは、差別的だとも感じます。そのため、病気や障がいのある子どもの保護者と先輩や専門家をマッチングするだけでなく、保護者とベビーシッターやNPOのサービスとマッチングするサービスも検討しています。働くことを応援するマイナビだからこそ解決できることがあるんじゃないか、と考えています。
――萌子さんはご自身の仕事についてどう考えていますか?
萌子さん 私はフリーランスの編集・ライターをしていますが、今は取引先に事情を話して、日中は子どもの療育やリハビリに付き添い、子どもが寝た後の時間を使ってできる範囲で仕事をしています。
仕事をすることは、経済面以外でも自分の存在意義が見いだせる部分が大きいと思います。時間がない中での仕事は負担はありますが、反面すごくやりがいを感じています。
一貴さん 娘の療育に関しては妻が奔走してくれて、僕は仕事を優先させてもらっていますが、そのぶん、土日はいろんなところに家族で遊びに出かけています。先日はキャンプデビューもしました。知り合いの療育イベントに出かけたり、リトミックに行ったり。いろんな体験をすることで、娘のリハビリのいい刺激になれば、と。
――今、お二人が育児で幸せを感じるのはどんなときですか?
萌子さん 娘がつかまり立ちができた、数歩歩けた、と、リハビリを通して成長を感じることが何よりもうれしいです。
一貴さん 最近、天井に映像を映すプロジェクターを買ったんです。寝かしつけのときに、家族三人で天井を見上げながら寝転がるのが、今いちばん幸せな時間です。
現在、原島さんは「障がい児・疾患児の保護者と支援する人のマッチングサービス」の検証協力者を募集しています。
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(取材・文:早川奈緒子、イラスト:ぺぷり)