“スマホを見ない生活”が来る? 子育てや仕事も変える、AIメガネのリアル/電脳メガネサミット2026現地レポート
福井県鯖江市は、国内有数の眼鏡産地として120年以上にわたり「ものづくり」の伝統を紡いできた街。そんな場所で、眼鏡の概念を塗り替えるようなイベント「電脳メガネサミット2026」が5月29日に開催されました。
AIやARを搭載した“電脳メガネ”は、単なる最新ガジェットではありません。両手がふさがる仕事やケアの現場、そして日々の暮らしのなかで、必要な情報を自然に受け取るための道具へと進化しようとしています。「めがねのまちさばえ」で語られた議論からは、未来のデバイスが「生活にどう優しく着地するのか」という問いも浮かび上がってきました。
会場となったのは、鯖江でソフトウェア開発を行う「株式会社jig.jp」。3つのセッションを通じて、職人技と最先端のテクノロジーが交差する瞬間を感じることができました。
なぜ電脳メガネが鯖江なのか?
ARやVRグラスと聞くと、シリコンバレーの巨大テック企業が開発するものというイメージがあるかもしれません。しかし日常使いを考えたとき、世界で最もその進化を追求しやすい環境があるのは、実はここ鯖江なのです。
スマートグラスは、最先端のガジェットである前に、顔に長時間載せる「眼鏡」そのもの。どんなに高機能でも、重くて鼻が痛くなったり、見た目が“いかにも機械”では、暮らしに馴染みません。しかし鯖江には、コンマ数ミリ単位で掛け心地を調整し、掛けていることを忘れさせるほどのフレームを生み出す職人の土壌があります。
このハード(フレーム)を作れる強みと、精密な光学技術の蓄積があるからこそ、IT技術だけでは到達できない「肌に触れる道具としての完成度」を追求できるのです。最新技術と職人の技術をリアルに持ち寄れる場所・鯖江が、いまウェアラブルデバイスの未来を担う現場として注目されていることが、今回のサミットでも強く印象づけられました。
“掛けていられるか”がすべて——職人が語るARメガネの本質
サミットの幕開けは、電脳メガネ市場における日本の位置づけと、未来の勝ち筋を問う議論から始まりました。
情報工学者であり神戸大学大学院教授の塚本昌彦さんは、すでに20年以上もウェアラブルコンピュータを装着して生活しているパイオニア。長年の研究を思い返し、「もうとっくに日本人はARメガネをつけていると思っていた!」と悔しさをにじませる場面では、会場が大きな笑いに包まれました。
塚本さんは日本の遅れの背景として、リスク回避の強さや、若手のアイデアが通りにくい構造を指摘。そのうえで、日本の繊細なものづくり文化にソフトウェアを合わせ、生活を再設計することの重要性を語りました。特に「おもてなしをスマートグラスの基本設計に入れる」ことこそが、世界で存在感を示すための戦略になりうると強調しました。
株式会社メタリティの福田登仁さんが職人の視点から重要視したのは、前後のバランスをはじめとする圧倒的な着用感です。レンズ側と、コンピュータやバッテリーが入るテンプル(つる)側のバランスが崩れると、ズレや耳の痛みの原因になります。日常的に使い続けてもらうためには、この「掛け心地」が命。特に、普段眼鏡をかけていない人が装着したときの違和感をいかになくすかは、「デザイナーではなく、眼鏡職人にしかできない仕事」だと語りました。
また普及へのロードマップとして、安全管理が必要な工場の現場や、患者の情報が常に必要な看護の現場など、用途が明確なBtoBの現場から広げていく戦略を提案。「まだこの世にない、唯一無二のものを作っていきたい」という言葉には、職人としての強い気概がにじんでいました。
行政の立場から登壇した鯖江市の小野田謙一副市長は、産地のポテンシャルを強調。鯖江の職人は新しい技術も自然に受け入れ、プロトタイプを形にする力が抜群にあると語ります。「議会対応で厳しい質問が来た際に、答弁書のカンペがレンズに見えたら便利ですよね(笑)」とユーモアを交えつつ、AIを補助的に使うことで、相手の目を見ながら話せる機会が増えることへの期待を示しました。鯖江市としても、今後は商談会や説明会などを通じて、この新たな産業の裾野を広げていきたい考えを語っていました。
ファシリテーターを務めた株式会社jig.jpの福野泰介さんは、「色々な職種の専門家や職人が集まり開発する、総力戦なんです」と締めくくり、鯖江が持つ横のつながりの強さを改めて印象づけました。
“普通のメガネ”を目指した理由——違和感を消すための技術
続く第二部では、今回のサミットの目玉である鯖江発の次世代スマート眼鏡「SABERA(サベラ)」の全貌が明かされました。クラウドファンディングでは1,700人以上のサポーターが集まり、応援購入金額は1億2,000万円を突破したと説明され、会場でも大きな注目を集めていました。
しかし、プロジェクトの背景には、眼鏡業界が10年以上抱え続けてきた葛藤があったといいます。
眼鏡の製造から販売まで一貫して行う株式会社ボストンクラブの小松原一身さんは、2015年頃からウェアラブル関連の展示会に出展し、多くの企業と接点を持ちながらも、さまざまな理由でプロジェクトが立ち消えになる局面を何度も経験してきたと振り返りました。そのうえで、「全員が下を向いてスマホを見ている今の状況を、眼鏡の力で変えたい」と、産地のプライドをかけた決意を語りました。
こうして誕生した「SABERA」は、ガジェット特有の無骨さを極力抑え、日常に溶け込むことを目指したデザインが特徴です。一般的な眼鏡と遜色ない「40g」前後の軽量性が強調され、前後の比重バランスを緻密に設計してズレを防ぎ、チタン素材のテンプルによる柔軟なバネ性を持たせることで、長時間かけても痛くなりにくい“眼鏡としての当たり前”が追求されていると説明されました。
レンズには高度な光学技術を採用し、AR情報と日常の視界を重ね合わせるための高度な光学技術が採用されており、視界を妨げずに軽量化するため、右単眼ディスプレイを選んだといいます。操作はタッチセンサー式で、標準で約8時間、最大12時間の連続稼働が可能。「眼鏡をかけている間はずっと稼働している状態」を目指したそうです。
特に議論を重ねたのが「カメラの有無」。SABERAはあえてカメラ非搭載という仕様を採用しています。株式会社jig.jpの渡邊隆文さんは、プライバシーへの配慮と、周囲に盗撮の疑いをかけられるユーザー側のストレスを軽減するため、葛藤を乗り越え辿り着いた決断を語りました。
また、光学技術を担うCellid株式会社の喜田弘亮さんは、微細な加工が必要なレンズ開発には、鯖江という信頼できる製造現場の存在が不可欠だと強調。さらに、「このプロダクトの成功が、日本がグローバルで勝つための要になる」と力を込めました。
目の前の人を見るために——テクノロジーが取り戻す視線
第三部では、テクノロジーが私たちの生活や感性をどう変えていくかという、少し先の未来の話へと展開。AIの具体的な使い道や、ウェアラブルデバイスを使ったアートの最前線が語られました。
元Meta社の近藤義仁さん(ナル先生)は、自身が開発した、肩に載る小さなキューブ型のAI秘書「なるえびちゃん」とともに登場。近藤さんは自宅のMac Studioで24時間AIを稼働させ、Googleカレンダーやメールと連携させているそうです。
飲食店でQRコードから注文する場面については、AI秘書が本人の好みを学習しているとして、「『予算内で、苦手なモツやレバーを除いたメニューにして』と頼むと、勝手に注文してくれるんですよ」と具体例を紹介。このエピソードに会場からは驚きの声が上がりました。さらに近藤さんが「機能のない眼鏡を付ける人がなくなる未来が来るのでは?」と語ると、その知見にうなずく来場者の姿も見られました。
VRアーティストのせきぐちあいみさんは、VRゴーグルを装着し、踊るように空中に光の絵を描く圧倒的なアートパフォーマンスを披露。海外での活動が多いせきぐちさんは、リアルタイム翻訳機能の重要性を日々実感していると言います。
「翻訳者が入るとテンポが遅れ、話に感情がのらないこともしばしば。ARグラス越しなら、相手の目を見て情熱を感じながらダイレクトに対話できるのが、とっても良いんです」と、身体性を伴うコミュニケーションの未来について語りました。
展示ブースに集まる視線――もう“未来の話”ではなくなったARグラス
セッションの合間、会場に設けられた展示ブースには多くの来場者が集まり、最新のSABERAをはじめ、さまざまなウェアラブルデバイスに触れながら説明に聞き入る姿が見られました。
自分のスマートフォンと連動させて翻訳機能を試したり、AIアシスタントに話しかけたりする来場者の様子からは、ARグラスが“SFの中の未来”ではなく、すでに現実の入り口にあることを感じさせられます。少なくとも会場では、それが「今ここにある技術」として受け止められている印象がありました。
何より印象的だったのは、地元の眼鏡職人たちがデバイスを手に取り、重心バランスや素材の質感に真剣な眼差しを向けていたことです。そうした光景は、鯖江ならではの空気を感じさせるもので、伝統の継承にとどまらず、新しい技術に積極的に挑もうとする職人たちの貪欲なクリエイティビティを思わせる瞬間でもありました。
子育てやケアの現場にもつながる“生活者のためのメガネ”
今回の議論で繰り返し語られていたのは、スマートグラスを「特別なガジェット」に終わらせず、日常にどう馴染ませるかという視点です。
その文脈を生活者の側に引き寄せると、子育てやケアの現場とも重なる部分が見えてきます。たとえば、子どもを抱っこしているとき、ベビーカーを押しているとき、あるいは荷物で両手がふさがっているとき。スマートフォンを取り出さなくても、翻訳、予定、通知、必要な情報が視界のなかで自然に確認できるなら、暮らしの負担は少し変わるかもしれません。
一方で、子どもや家族と向き合う場面だからこそ、装着する道具には“威圧感のなさ”や“生活空間になじむこと”も求められます。今回、掛け心地や軽さ、さらにはカメラ非搭載という選択にまで議論が及んでいたのは、単に技術の話ではなく、「人と人のあいだに違和感を持ち込まないためにどうするか」という生活者視点の問いでもあったように感じられました。
工場や医療のようなBtoB領域から先に普及が進むとしても、最終的に電脳メガネが本当に日常へ広がっていくかどうかは、こうした子育てやケアを含む“暮らしの現場”で、どれだけ自然に受け入れられるかにもかかっているでしょう。
ユーザーの「生活」に優しいテクノロジー
今回のサミットを通じて強く感じたのは、最先端のテクノロジーが、いかに私たちの「生活」へ優しく着地しようとしているか、という点でした。
あえてカメラを排して周囲への配慮を優先し、職人の技で掛けていることを忘れさせるほどの快適さを追求する——。そこには、機能を増やすことだけではなく、働く場や移動中の時間、そして子育てやケアを含む日常の場面に、どう自然に入り込めるかという発想があります。
それは、スマートフォンの四角い画面に奪われていた現代人の視線を、目の前の大切な人や、移り変わる街の景色へと再び戻すための進化でもあるはずです。鯖江という街が120年かけて育んできた「ものづくり」の精神は、そうした未来の“生活の道具”としての電脳メガネを、少しずつ現実へ近づけているのかもしれません。
(取材・文・写真 米田ゆきほ)
