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掲載
2026年10月28日 11:35
更新
2026年10月28日 14:57

「生きていてくれればいい」皆勤賞の10歳娘が突然入院。生死をさまよう娘に父母の心身も限界、そのとき……

毎年皆勤賞をもらうほど元気だった10歳の娘が、突然入院。翌日には呼吸が止まり、集中治療室へ運ばれました。先の見えない日々を、親子はどう過ごしたのでしょうか。母親の時村智美さんと娘のあすかさん(仮名)に、当時の不安や回復までの道のりについて聞きました。

昨日まで元気だった娘に、何が起きているのか

(イメージ写真)

――時村さんは、あすかさんが入院したとき、これからのことを考える余裕はありましたか。

母・時村智美さん(以下、時村さん) 入院する日まで、毎年皆勤賞をもらうくらい元気だったんです。それが突然入院になり、翌日には呼吸が止まってICUに運ばれました。たくさんの管につながれた娘を見て、何が起きているのかわからない状態でした。

医師から辺縁系脳炎(へんえんけいのうえん)と説明を受け、呼吸が止まることがまた起きるかもしれないとも聞きました。私たち夫婦には「(娘が)生きるか、死ぬか」という二択のように感じられて……だから、将来を悲観するというより、「生きていてくれればいい」と本当に思っていました。

意識が戻らず、寝たきりになる可能性もあると聞き、夫とは家を改修するか、病院の近くへ引っ越そうかという話もしました。どんな状態であっても、生きていてほしい。そう、当時は思っていましたね。

――あすかさんは、当時のことを覚えていますか。

娘・時村あすかさん(以下、あすかさん) 入院したのは5月の下旬だったのですが、周りの話をきちんと理解できるようになったときには、7月になっていました。カレンダーを見て「今、7月なの?」と言ったのを覚えています。

クワガタ採りが好きで、6月ごろには父とよく行っていたので、「もうそんなに時間が経っているの?」と。普通に外へ行きたいし、なぜここにいるのかもすぐには理解できませんでした。

ICUにいたときの写真や動画を見せてもらっても、「これ、私?」と信じられなくて。病気になって悲しいというより、今、自分に起きていることがわからない気持ちのほうが大きかったです。

ご飯が食べたい。元の学校に戻りたい

――入院生活で、とくにつらかったことは。

あすかさん ご飯が食べられなかったことです。回復して「明日から食べられるよ」と言われた日に薬疹(薬による発疹)が出て、また食べられなくなってしまって。「また点滴に戻るの?」と、すごく嫌でした。

見た目に症状が出たこともつらくて、病室にある鏡を隠してもらっていました。よくなったと思ったら、また悪くなる。その繰り返しで、泣いたり、機嫌が悪くなったりして……。けれど、父か母がずっとそばにいて、週末には祖父母も来てくれたので、なんとか乗り切れました。

時村さん 私たち夫婦のどちらかは、毎日必ずそばにいました。病気の影響(※)で、娘が私たちや看護師さんに強い言葉を向けることもありました。症状は少しずつ回復していくので、急によくなって、それまでのことを本人が謝れるようになるわけではありません。退院してからも元の調子に戻るには時間がかかりました。

※編集部注…辺縁系脳炎は、脳の感情を司る部分に影響の出る病気のため、感情のコントロールが難しくなる場合がある。

――あすかさんは、学校に戻ることへの不安はありましたか。

あすかさん 両親より、私のほうが「学校に戻れるかな」という心配は大きかったかもしれません。友達がメッセージを送ってくれていたので、戻りたい気持ちが強かったです。

院内学級に入ることも提案されたのですが、当時の私は、そこに入ると元の学校には戻れなくなるのではないかと思ってしまったんです。「元の学校に戻りたい」と、ずっと考えながらリハビリをしていました。

時村さん 薬の影響で顔がむくんだり、体つきが変わったりしたことも、学校へ戻るときには気になったと思います。本人にとって見た目の変化はつらかったんですよね。

同級生やその保護者の方々、学校の先生にも支えていただきました。先生がお見舞いに来てくださって、学年全員からの寄せ書きや、メッセージを書いたぬいぐるみを届けてくれたりして。友達や家族から、応援の千羽鶴をいただいたことも力になりました。

入院前に見ていたドラマも、娘のなかでは途中で止まってしまっているんです。その続きを録画して持ってきてくれた方もいました。好きな曲を集めた「あすかちゃんベスト」というCDも作ってくれて。そういうものが、娘を支えてくれました。

話したくないときは、無理に話さなくてよかった

(イメージ写真)

――付き添い中に利用した「ロナルド・マクドナルド・ハウス」では、どのように過ごしていましたか。

時村さん 普段は人と話すことが好きなのに、当時は誰とも話したくなくなっていました。娘のことしか考えられなかったんです。

スタッフの方は、帰ってきたら「お疲れさまです」と声をかけるくらいで、無理に事情を聞こうとはしませんでした。知り合いのところなら、こちらも「何か話さなければ」と気を遣ったかもしれません。でも、ハウスではそれを感じずにいられました。今振り返ると、あの距離感が本当にありがたかったです。

娘が一般病棟に戻り、私たちの気持ちも落ち着いてくると、「この方はいつもいらっしゃるな」と、周りの人にも目が向くようになりました。そこから、自然に会話ができるようになっていったんです。

――ほかの利用者の方との交流も、支えになったのですね。

時村さん 家にいるきょうだいをお父さんが見ているため、お母さん一人で付き添っているご家族もいました。私たちは娘のことしか考えられていませんでしたが、話を聞いて、それぞれの家族に違う事情があるのだと知りました。

ハウスを何度か利用している方から励ましていただいて、「自分たちだけではないんだ」と思えました。娘と同じ病気ではなくても、入院経験のある方と話せたことは心強かったです。

親子で過ごした入院生活が、その後の夢に

――今は、ご家族でハウスでボランティアをされているんですね。

時村さん 娘の定期検診のときに募集の紙を見て、親子3人で始めました。利用していたときの気持ちを思い出しながら、今は話しかけられたくないのかな、逆に誰かに話を聞いてほしいのかな、と考えています。

クリスマスツリーなど季節の飾りも、付き添っているときには日常を思い出すきっかけになりました。そういう経験が、少しでも役に立てばと思っています。

あすかさん 私と同じ病気のお子さんの家族に会ったこともあって、回復した私を見て、希望が持てると言っていただきました。自分の存在が誰かの勇気になれたらうれしいです。

――子育て中の親に、伝えたいことはありますか。

あすかさん 入院中は昼夜が逆転してしまうこともあって、深夜に父とテレビでプロレスを見たんです。最初は「何を見ているんだろう」と思ったのですが、一緒に見ているうちに好きになりました。

好きな海外の選手ができて、そのことが英語を学びたい、アメリカへ留学したいと思うきっかけになりました。病室でテレビを見て楽しいと思えた経験から、今は自分も誰かにエンターテインメントを届けられたらと考えています。

一人だと、どうしても気持ちがマイナスのほうへ向いてしまうこともあると思います。仕事などで難しいこともあると思いますが、ぜひ、できるだけ子どものそばにいてあげてほしいです。

(写真提供:時村智美さん・時村あすかさん/取材・文:マイナビ子育て編集部)

協力:ロナルド・マクドナルド・ハウス

ロナルド・マクドナルド・ハウス ホームページ
https://www.dmhcj.or.jp/

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